青春プチロマン小説「横浜ルームナンバー508」第10話 作/奈良あひる

短篇小説

=青春プチロマン小説=ありそうでなさそうで、それでも起きそうなロマンスをお届けする短篇小説。きっとどこかで起きている。 

第10話

私は、手元にあったペンを握り直した。

USBで動画を見てからというもの、私は“あの二人の関係”を知るだけでは足りなくなっていた。

もしかすると私は、佳乃という女の中に、夫を見ていたのかもしれない。

私は、静かに書き始めた。


【私 → 佳乃】

拝復

ご丁寧に、あの記録を届けてくださり、ありがとうございました。
動画を見終えて、しばらく椅子から立てませんでした。
画面の中の動きや表情が、とても豊かに映りました。

夫があなたに触れる時の手つき。
その角度や深さを、私は見たことがありませんでした。

正直に申し上げて、少し戸惑っています。
夫があれほどまでに「別の人間」としてそこにいるのを見ると、
私はいつから彼を“安全な人”としてしか見ていなかったのかと、胸がつかえました。

もし差し支えなければ、お訊ねしたいことがあります。

あなたにとって、夫はどういう存在でしたか。
あの夜の関係は、あくまで企画の一部だったのでしょうか。
それとも、何かもっと、別の感情が芽生えたのでしょうか。

私はまだ、あの映像の中の二人が、「誰」で「なに」をしていたのか、うまく整理ができていません。

もし、あなたのお言葉で語っていただけるなら、
私は、それを聞いてみたいのです。

敬具


手紙を投函してから四日後、封筒が届いた。
あの人らしい、無地のアイボリー色だった。


【佳乃 → 私】

拝復

ご返信、ありがとうございました。
そして、正直なお気持ちを伝えてくださって、私は少し救われた思いがいたしました。

あの夜のことを、改めて自分の中で言葉にするのは、正直難しいです。
けれど、今だからこそ、少し正直に書いてみようと思います。

あなたのご主人は、とても繊細な方です。
繊細でありながら、触れるときだけは、少し大胆です。

私が何も言わなくても、どこをどう撫でたら私が震えるか、
どういうリズムで腰を動かせば、私の中が吸い付くか――
そういう“身体の言語”を、彼は静かに読み取る人でした。

あれは、企画の一環として始まりました。
でも、二度目に会ったとき、私はもう台本のことを忘れていました。

彼の指先がシャツの裾から入ってくる瞬間、
私の身体は、演技をしている女のそれではありませんでした。

あの夜、終わったあと、彼はしばらく黙って私の肩に額をつけていました。
そのときの沈黙が、今も胸の奥に残っています。

これは“恋”なのかと訊かれると、わかりません。
“愛”といえる自信もありません。

でも確かに、私はあのとき、
「自分の女の部分が、久しぶりに呼吸をした」と感じていました。

ご主人は、そういう人です。
誰かの中の“眠っているもの”を、起こすような人です。

それが、あなたのご主人だったという事実が、
皮肉でも、救いでもあるのか、私にもまだわかりません。

佳乃


その手紙を読んだあと、私はカップの中の紅茶を一口すすった。
冷めきっていて、何の味もしなかった。

夫は、今夜も黙ってプラモデルの接着面をヤスリがけしている。

その横顔を見て、私は胸がきゅっと縮むような感覚に襲われた。

あの手が、佳乃の身体をどう撫でたか。
あの眼差しが、何を見つめていたのか。

思い浮かべるたび、私は「なぜそれが私ではなかったのか」と問い続ける。

これは嫉妬か、愛か、それとも……女としての敗北感なのか。

自分が何に泣きそうなのかすら、もう分からなかった。

ただひとつ、分かることがあるとすれば――
私はまだ、夫を「誰かに選ばれた男」として、見てしまっているということだった。

タイトルとURLをコピーしました