=青春プチロマン小説=ありそうでなさそうで、それでも起きそうなロマンスをお届けする短篇小説。きっとどこかで起きている。
第10話
私は、手元にあったペンを握り直した。
USBで動画を見てからというもの、私は“あの二人の関係”を知るだけでは足りなくなっていた。
もしかすると私は、佳乃という女の中に、夫を見ていたのかもしれない。
私は、静かに書き始めた。
【私 → 佳乃】
拝復
ご丁寧に、あの記録を届けてくださり、ありがとうございました。
動画を見終えて、しばらく椅子から立てませんでした。
画面の中の動きや表情が、とても豊かに映りました。
夫があなたに触れる時の手つき。
その角度や深さを、私は見たことがありませんでした。
正直に申し上げて、少し戸惑っています。
夫があれほどまでに「別の人間」としてそこにいるのを見ると、
私はいつから彼を“安全な人”としてしか見ていなかったのかと、胸がつかえました。
もし差し支えなければ、お訊ねしたいことがあります。
あなたにとって、夫はどういう存在でしたか。
あの夜の関係は、あくまで企画の一部だったのでしょうか。
それとも、何かもっと、別の感情が芽生えたのでしょうか。
私はまだ、あの映像の中の二人が、「誰」で「なに」をしていたのか、うまく整理ができていません。
もし、あなたのお言葉で語っていただけるなら、
私は、それを聞いてみたいのです。
敬具
手紙を投函してから四日後、封筒が届いた。
あの人らしい、無地のアイボリー色だった。
【佳乃 → 私】
拝復
ご返信、ありがとうございました。
そして、正直なお気持ちを伝えてくださって、私は少し救われた思いがいたしました。
あの夜のことを、改めて自分の中で言葉にするのは、正直難しいです。
けれど、今だからこそ、少し正直に書いてみようと思います。
あなたのご主人は、とても繊細な方です。
繊細でありながら、触れるときだけは、少し大胆です。
私が何も言わなくても、どこをどう撫でたら私が震えるか、
どういうリズムで腰を動かせば、私の中が吸い付くか――
そういう“身体の言語”を、彼は静かに読み取る人でした。
あれは、企画の一環として始まりました。
でも、二度目に会ったとき、私はもう台本のことを忘れていました。
彼の指先がシャツの裾から入ってくる瞬間、
私の身体は、演技をしている女のそれではありませんでした。
あの夜、終わったあと、彼はしばらく黙って私の肩に額をつけていました。
そのときの沈黙が、今も胸の奥に残っています。
これは“恋”なのかと訊かれると、わかりません。
“愛”といえる自信もありません。
でも確かに、私はあのとき、
「自分の女の部分が、久しぶりに呼吸をした」と感じていました。
ご主人は、そういう人です。
誰かの中の“眠っているもの”を、起こすような人です。
それが、あなたのご主人だったという事実が、
皮肉でも、救いでもあるのか、私にもまだわかりません。
佳乃
その手紙を読んだあと、私はカップの中の紅茶を一口すすった。
冷めきっていて、何の味もしなかった。
夫は、今夜も黙ってプラモデルの接着面をヤスリがけしている。
その横顔を見て、私は胸がきゅっと縮むような感覚に襲われた。
あの手が、佳乃の身体をどう撫でたか。
あの眼差しが、何を見つめていたのか。
思い浮かべるたび、私は「なぜそれが私ではなかったのか」と問い続ける。
これは嫉妬か、愛か、それとも……女としての敗北感なのか。
自分が何に泣きそうなのかすら、もう分からなかった。
ただひとつ、分かることがあるとすれば――
私はまだ、夫を「誰かに選ばれた男」として、見てしまっているということだった。