=田中屋スポーツ新聞=新聞を読めと言われた世代!?読むならスポーツ新聞だな。情熱といかがわしさのサンドウィッチ。ジャンクな話題をコーヒーで流し込め!学校でも職場でも使える話題をお届け
田中屋の夕刻日誌「ありがとうと奢りの連動性」
田中屋の大した事のない人の言葉
ありがとうを言う人は奢られる可能性い恵まれる
ありがとうを言われる人は奢る機会に恵まれる
夕刻コラム「山崎まさよし、ライブツアー全公演中止を発表」
「不整脈の症状により長時間のライブ演奏が困難」

体調不良とは誰にでも突然訪れるもので、予定全キャンセルというのは、本人かなり心苦しかったと思う。
これはファンに対してではなく、運営スタッフ、関連会社、取引先にだ。そこが知りたい。
山崎まさよしはもともと好きなアーティストで、CDやVDも持っている。
前回話題になった、ヘラヘラして、演奏もほとんどしないで終わったライブはどんなものだったのか観てみたい。
それがあっての30周年、どんな内容なのか。
ヘラヘラしているのか。
田中屋のシティスナップ「渋谷の浴衣に革ジャンの女」

撮影/田中宏明
連続小説「女の風景写真」第50話 作/奈良あひる

春先の風は、まだ冷たかったが、どこかに柔らかい匂いを含んでいた。
駅までの道を歩きながら、由紀子はその匂いを深く吸いこんだ。
街路樹の根もとでは、名も知らぬ小さな花が、まるで何事もなかったかのように咲いている。
人はどんな出来事のあとでも、こうして季節のなかに戻っていくのだ――そう思った。
夫とは、あの夜から時間をかけて言葉を交わした。
最初は何も言わなかった彼が、ある晩、湯呑を両手で包みながら静かに言った。
「俺もね、どこかで気づいてた。君の心が少し遠くに行ってたこと」
その声は、怒りではなく、どこか懐かしさを含んでいた。
由紀子は、その一言で、涙がこみあげた。
赦しとは、言葉よりも、そこに流れる沈黙のあたたかさなのかもしれない。
日々は、何事もなかったように過ぎていった。
朝、夫が新聞を広げる音。
台所から漂う味噌汁の香り。
夜、湯気の立つ風呂場から聞こえる、湯をかきまわす音。
そのひとつひとつが、どれほど愛おしい音だったのか、今さらのように胸に沁みた。
ある日、洗濯物を干しながら、ふと風に吹かれた。
あの港町で感じた風と、よく似ていた。
その瞬間、由紀子は思った。
“私の体が迷ったのは、愛が足りなかったからじゃない。
ただ、生きていることを確かめたかっただけなのだ” と。
夫の背中を見ながら、心の中で小さくつぶやく。
「ありがとう」
声にはならなかったけれど、風がその言葉を運んでいく気がした。
夜、ふたりでテレビを見ていると、夫がふいに笑った。
それにつられて、由紀子も笑った。
笑いながら、ほんの少し涙がこぼれた。
彼は気づかないふりをして、そっとリモコンの音量を下げた。
どんなに愛がゆがんでも、ひとはまた寄り添うことができる。
それは完璧ではなくても、たしかにひとつの“かたち”だった。
寝室の明かりを消すと、窓の外から春の風が入ってきた。
カーテンがゆるやかに揺れ、夜の匂いと混ざり合う。
その中で、由紀子は小さく息をついた。
もう何も書かなくても、生きていける気がした。
日記の最後のページを閉じるように、そっと目を閉じた。
――そして、また明日がやってくる。
夫の寝息を聞きながら、由紀子は思った。
この小さな平穏こそが、どんな恋よりも深い「愛」なのだと。

おしまい