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夕刻コラム「子連れ客にクレームを言うベタな構成の記事」
この記事はどこが新しいのか。どこがおもしろいのか。どこがオリジナルなのか。
記事は書くこと。新しくなくてもいいし、面白くなくてもいいし、オリジナル性もなくてもいい。自由だ。
こういう記事によくある疑問
〇この記事の筆者は、この夫婦に聞いた話だけで書いているのか。
〇なぜ、堪忍袋の緒が切れてから動き出すのか。普通に相談できないものか。店側もそれまで動かないという、後手後手。店側は子どももありと考えていたのか。
〇自称元警察という胡散臭いやつが現れて、それにみんなで寄せるという腑抜け具合、それでいいのか、その店にいたみんな!w
〇スピーカーで話すのはなぜだめなのか。通常の話し声よりはるかに大きな音だったのか。
〇傍観者夫婦は子なし。筆者はどうなのだろうか。
この記事の最後、この傍観者は鷹揚(おうよう)だと。結局何がいいたかったのか。
そのぐらいのことは傍観者でいろということかな。
そんなことこと考えてたらこの記事ちょっとおもしろい。
田中屋のシティスナップ「八王子の女」

撮影/田中宏明
連続小説「女の風景写真」第49話
その街は、駅を降りた瞬間から空気が違っていた。
潮の匂いと、遠くの踏切の音。
風が少しやわらかく、どこかで焼けたパンの香りが混じっていた。
由紀子は、ワンルームの鍵を受け取ると、玄関のドアを開けた。
家具もない、白い部屋。
空っぽなのに、なぜか息がしやすい。
窓の向こうには小さな港町の景色が広がっていた。
スーツケースを床に置き、鞄の中からノートパソコンを取り出す。
電源を入れると、いつもの文書ファイルが開いた。
タイトルは――「記録」。
そこには、夫も、あの人も、もう登場しない。
今、画面の中央にあるのは、ただひとりの“由紀子”という女の時間だけ。
指を動かしながら、彼女は静かに思った。
自分は書くことで、ようやく息をしているのかもしれない。
あの夜も、あの家も、あの人の声も、すべてがひとつの章になって、今ここに続いている。
書きながら涙がにじむ。
それが悲しみなのか安堵なのか、自分でもわからない。
けれど、涙が落ちたキーボードの上で、光の粒のように一文字ずつが浮かび上がっていった。
ふと、窓の外を見る。
港に小さな灯りがともっている。
釣り人たちの影が、波に揺れている。
その光景に、不思議と心が静まった。
――これから先、自分は誰の妻でもなく、誰の恋人でもなく、生きていく。
そう思うと、胸の奥に小さな風が通り抜けた。
コーヒーを淹れ、椅子に腰を下ろす。
ノートの中で、新しい一行を打ち込んだ。
> 「港町で目を覚ました朝、私はまだ少し、愛の残り香をまとっていた。」
画面を見つめ、由紀子は微笑んだ。
そこには、どんな痛みも、どんな秘密も、もう静かに沈んでいる。
ただ、書くことで生きるという確かな手触りだけが、彼女の指先に残っていた。
つづく