
ジャズナンバー「枯葉」を田中屋語訳
そもそも枯れるなんて言葉は原詩にはなく‥
田中屋のシティスナップ「相模湖の女」

相模湖スナップ 撮影/田中宏明
連続小説「女の風景写真」第38話 作/奈良あひる
夜の底が、ふいに深くなったようだった。 灯りの届かないところで、三人の呼吸がゆっくりと重なっていく。 けれどそれは調和ではなく、微妙なずれを孕んだ呼吸だった。 ひとつずつの息遣いが、互いの存在を確かめるようでいて、同時にどこかへ逃れようとしていた。 由紀子は、そのずれを敏感に感じ取っていた。 自分がいま、どの位置に立っているのか。 寄り添うべきなのか、見送るべきなのか——それすら判然としない。 胸の奥で、得体の知れぬ「ざらつき」がひっかかっていた。 夫の眼差しは、もう以前のそれではなかった。 優しさの中に、ほんのかすかな警戒が混じる。 彼の中にも迷いがあるのだと、由紀子は悟った。 だがそれを指摘することは、もうできない。 言葉にしてしまえば、すべてが壊れてしまう気がした。 ——あの夜から、何かが確実に変わった。 触れあう代わりに、心が触れた。 その記憶が、日を追うごとに鮮明になっていく。 皮膚よりも、もっと深い場所に残る感触。 由紀子は、静かに息を吐いた。 これが「受け入れる」ということなのかもしれない。 抗うでも、縋るでもなく。 ただ、流れの中に自分を置く。 そうして初めて見えるものがあるのだと、どこかで知っていた。 外では、風が微かに鳴った。 その音に紛れるように、由紀子は小さく呟いた。 「……これでいいのよ」 誰に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。 けれどその一言が、胸の奥でやわらかく響いた。

つづく