田中屋の夕刻日誌
「話が長くてオリンピック」

夕刻日誌
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長らくことわざが更新されていないのが、以前から気になっている。

ことわざから人生を学んだり、生活で役立ったかはわからないけど、漫画家や芸能人・ミュージシャンの言葉に響くことはたびたび実感する。

日本にはなぞかけという文化がある
中でも有名なものとして

結婚式のスピーチとかけて
ミニスカートと解く
そのこころは
短い方が喜ばれます

というのがある。

今ちょっとネットで調べてみたら、三遊亭遊朝というひとの作品らしい。
※エッセイを書くときに調べてまで書かないというのがプチポリシーだが。

オリンピック委員会のバッハ会長の話は長かった。
上記なぞかけを知らないのである。

選手からしたら、どこのだれだかわからないおじさんである。
もちろん僕らにとってもそうである。
自分もそうだったが、その大会において、偉い人というのは、選手にはなかなか伝わらないものなのである。
実際は、スポーツというものは企画実行がいなければ成立しないので、その人がいなければ、ドラマも感動もないのである。大会自体が行われないのだから。
がだ、なんども言うがそれは、選手にはなかなか伝わらないものなのである。
オリンピックを含め、学生の大会もなにも、当然として大会が開催されると思っているのである。
誰かが企画実行してくれているから、参加チーム・選手がいることを実感している人はどれだけいるだろうか。
実行側はそれを誇りに想い、俺たちがいるから選手がいるんだという立ち位置をとる。

なので、大会のスピーチぐらい花を持たせてもいいのである。

選手がそういうような考え方(選手があっての大会)を持っていることを、バッハ会長はしらなかったのである。

ただそれだけの話で、これ以上書くこともないのですが、
日本には上記言葉がある。

ただ、それをバッハに伝える勇気はない。

ちなみに、僕がサッカーを高校1年の時サッカーをやめて、バンド活動に移ったのは、スポーツは"企画であり選手"になることが難しいから。

音楽は、ここでこんなライブをしよう、こんなイベントをしようって、考えて実行、企画者であり出演者になることができるからなのである。

さて、復習で
いや、まとめ

バッハさんは、上記なぞかけをしらなかった。
オリンピック選手は、オリンピックの企画者への感謝があまり感じられない。(それは悪い意味でいってるわけではありません)

オリンピックを企画運営している人たちに感謝しますみたいな言葉をメダリストから聞いたことがない。
あ、「メダル交換してくれ」は、きいたことがあります。

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