=夕刻日誌=日常はエッセイにするとちょっとメルヘン。卒論のネタとスナックのママの話題のツマミとは似たようなものだ。デートにも使える話題のネタを紹介。満員電車の脳内暇つぶしにも。
子育てのてこ入れ
生まれてくる子どもというのは、本人の希望により生まれてくるわけではない。
親は本人の希望により子どもをつくるのである。これは恐らく正しい。
ここからがやや意見が別れるかもしれないところ。
だからこそ話すのだ。
人生がうまくいくかどうか、つまり「生まれてきてよかったー、楽しい!」と最後まで思えるかどうか。
これを思えることをここでは勝ち組と呼ぶとして。
この世の中のすべてのひとが勝ち組になれるわけではないのが現実だと感じています。
たとえば、3人子供がいるとして、ふたりは人生うまく乗りこなし楽しんでいても、なぜかひとりは就職もうまくいかず、結婚運もなかったなんてことがあるかもしれない。もちろん、就職や結婚が幸せの基準としたいわけではなく、人生を楽しめていない状況でという意味としてです。
それは性格が曲がっているわけでもなく、なまけものというわけでもなく、そういう人っているかもしれないのです。
そういう人に対しては、親は何かしら人生のてこ入れをするべきと考えます。
この話の根本は、子供は自らの希望で生まれてきたわけではないというところです。
生まれてきたらあとはひとりの力で生き抜けとか、健康に生まれてきただけでありがたいと思え、うまれて来た以上人生はすべて自己責任と言い放つのは最終的にはちがうと思います。
ここがポイント。
世界があまりにも危険な状態なら子供を作らないというのもひとつの大人な考え方でもあります。
前述の例で、3人のうち、ひとりがうまくいっていなかった場合、親はその子にてこ入れをするべきで、そのてこ入れはどれぐらいのものかと言えば、「住む場所ぐらい」が基準だと考えています。
生まれてきたなら、働いて働いてなんとか生きているというだけではなく、好きな風に生きるべきと思うのです。
それの実現のひとつは住む場所の確保だと思います。
それがあればだいぶ余裕ができて、好きなことができます。
すると、上の例でいうと、うまくいっていない一人に、てこ入れをすることになります。分かりやすくいうと、資産的支援ということになります。もしかしたら、他の2人のキョウダイはあいつだけずるいと、主張するかもしれません。
それを親に訴えたとします。
親としても、ちょっと返答に困るかもしれません。
これについては、僕は「そこは、わかってもらいたい」というのが本心です。
そんなことを質問してくるのは愚か、そのことを理解できるように育ってもらいたいと思うのです。同じように子供ができたら、その状況でであうわけですから。
もし、他の二人の兄弟が、その返答を求めるならば、
「家族の助け合いのひとつだよ」と答えます。家族はみんなで協力しあって、幸せに生きるってのが親の願いであり、それは生きる目的でもあります。
これで、わからなかったら、育て方間違えたのでは、と思います。
子供を生む場合に、多少のてこ入れ枠を持っていないといけないと思うんですよね。または、自分が死ぬまでに作る。
でないと、電車やネットで流れてくる広告、「恵まれない子供たちに…」みたいなことになるのです。よく使われるのはアフリカとか。
あなたの寄付で水が飲めるだとか、予防接種を受けられるとか。
その人たちは寄付されるの前提で子供を作っているのか。
電車の中でそんな広告をみて、このエッセイを書いたのです。
夜露死苦
田中宏明
作者紹介
田中宏明 1980年生まれ 東京都昭島市出身の週末の写真家・放送作家。
2003年 日本大学文理学部応用数学科 ぎりぎり卒業。下北沢・吉祥寺での売れないバンドマン生活を経て、会社員(番組制作→不動産業)となる。
◆写真家:シティスナップとかるーい読物「井の頭Pastoral」撮影・編集
◆放送作家:ラジオドラマ「湘南サラリーマン女子」原作・脚本 オールデイズ直江津Radioで放送