青春プチロマン小説「横浜ルームナンバー508」第7話 作/奈良あひる

短篇小説

=青春プチロマン小説=ありそうでなさそうで、それでも起きそうなロマンスをお届けする短篇小説。きっとどこかで起きている。 

第7話

封筒が届いたのは、日曜の午後だった。
薄い水色の便箋が入っていて、差出人の名前は、男の姓のあとに「佳乃(よしの)」とあった。
彼の妻の名前だった。

夫は、窓辺でプラモデルの戦闘機を塗装していた。
機体に貼る細かなデカールをピンセットでつまみ、うんうんと一人ごとを言いながら作業を続けていた。

私は音を立てないように便箋を取り出し、読み始めた。


拝啓
突然のお手紙をお許しください。
あなたの名前も住所も知りません。けれど、文章の向こう側にどうしても書きたくて、この手紙を書いています。

私の夫が、あなたに触れていた時間のこと、私はもう何も責めるつもりはありません。
むしろ、感謝していると言ったら、驚かれるでしょうか。

雑誌の写真、あなたが写っているあの数枚には、女であることの誇りと、体温と、微かな哀しみが、確かに映っていました。
私はあれを見て、はじめて気づいたのです。
自分が、女として“写されること”を、夫に望んでいたのだと。

夫の目を、あなたが奪ったのではありません。
私が、あの目を見なくなったのです。

けれど──
あなたを抱いていた夜の彼が、本当に女を愛していたのなら、
その彼をまた、私は愛そうと思います。

あなたの時間が、彼の中に確かにあったこと。
そのことだけは、どうか覚えていてください。

ありがとうございました。

佳乃


手紙を読み終えたあと、私は何も言わずに封筒をたたんだ。
差出人の住所も電話番号もなかった。
ただ、横浜市の消印だけが、青いインクで押されていた。

「できた」

夫が塗装を終えた戦闘機を手にして、笑っていた。

「青いスピナー。今度、台座も作って飾ろうかな」

「いいじゃない。リビングにでも置いたら?」

「え、リビング?」

「私、もう気にしないわよ。あなたの好きなもの、もっと出していいと思う」

夫は少し驚いたように目を見開いてから、頷いた。

「じゃあ、出すよ。思いっきり派手なの」

「うん。派手なの、いいわね」

私は台所に立ち、食器を洗いながら、便箋の最後の行を思い出していた。

「あなたを抱いていた夜の彼が、本当に女を愛していたのなら……」

あの男が、最後に私に言った言葉は、「君は、俺の記録じゃなかった」だった。

けれど今、その“記録”すら、誰かの背中を押すことがあるのだと思った。
それなら、それでいい。

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