夕刻日誌「電車で読んではいけない本」
文:田中宏明

夕刻日誌
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電車の中で新聞を読んでいる人、だいぶ見かけなくなりましたね。

携帯を見ている人が多いわけで、ニュースも見れるし調べものもできるし、仕事のメールもできる。疲れていても、SNSを流し見することもできる。

僕も携帯を見ることはもちろんあるのですが、電車の中では本が読みたいですね。ていうか、電車の中というものは本を読むための時間ののように思えます。本を読むための場所ではなく、時間なのです。

本というのは雑誌でも文庫本でも漫画でもなんでもOKさ。

ただ、電車の中で読んではいけないものもあります。正確にいうといけないわけではないが、おすすめできないものもあります。
それは
「稲中卓球部」今までで一番笑った漫画だ。
昔ドラえもん野中で、のび太が漫画を読んで爆笑している姿がよく描かれていたが、何を読んでいたのかと気になったものだ。世にあるギャグ漫画というものも、爆笑させることが目的ではない気がしています。
ハイスクール奇面組もついでにとんちんかんもおぼっちゃ魔くんもツルピカハゲ丸もそうなのである。本筋はストーリー性と感動なのである。

地下鉄銀座線サーブで笑わない人はいるのか。

そして、今読んでいるのは、さくらももこ「あのころ」です。

これがまたやばい。笑いをねらって書いているんかはさだかではないが、活字だけでこれだけたたみかけて笑わせてくるあたりは、やはり電車ではおすすめできないのである。

必死でこらえひっしでこらえ、堪えるとまた笑いがくすぶって再燃する。
電車の中で笑っちゃいけないのですか?と開き直りたくなる。

僕は本にカバーはかけない。本屋で「カバーおかけしますか?」ときかれても丁重にお断りします。

それは、何を読んでいるか知ってもらいたいからのです。

もし、電車の中で本を読んでいて、笑ったとして、他の人に「こいつ何笑ってるんだ」と気持ち悪がられたとしても、表紙を見せつけて「お、稲中か」となると「まぁ、それならしょうがない、あれはおもしろかったなぁ」となるのである。
今読んでいるさくらももこも同様である。

カバーをかけて本を読んでいる人をみかけると、何か人には言えないもの読んでるのかなぁと、逆に怪しくなってしまうのである。これは副作用ですね。

めぞん一刻は表紙が素敵すぎて、それを読んでいること自体がファッションのような気にもなる。昔のananのような。
もし、めぞん一刻を読んだことがある人だったら、その表紙をみて、いまどのあたりだろう、恋のほろ苦さを感じるのではないだろうか。

カバーを捨て電車に乗れ
書を捨て町にでよう

2021年9月

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