田中屋の夕刻日誌「洗濯物が雨に濡れて」
文:田中宏明

夕刻日誌
夕刻日誌

よく晴れた午前に洗濯物を干せると気持ちいいものだ。
そして、一眠りしていると

「田中さ~ん、雨で、洗濯物濡れちゃいますよ~」
と声がした。お隣さんである。引っ越して間もなく、一度引越しのあいさつをしただけの間柄である。

“人の洗濯物が濡れようと関係ないぜ”というのがどちらかというと多数派のような気がするところ、非常にありがたい。

思えば小さい頃ー

実家は団地であった。となりの家の子供も学年が近く、親同士ベランダで世間話を数時間するというベタな景色もあったもので。

ある日、突然の雨が降る。
うちの母親は、慌てて洗濯物を取り込みはじめる
母親「お隣さんに、雨降ってると伝えてきて」
いつもならばこのタイミングでお隣さんも洗濯物を取り込みはじめるのだが出てこなくて、雨が降り出したことに気づいていないと察してのことである。

僕はドアが向かい合うお隣さんのインターホンを押しても応答がないので、それを使えると、

母親「ベランダからとなりのベランダに入って取り込んであげて」

え、そこまですること?できなくはないけど、
すると

母親「やっぱ、やめておこう、下着があるかもだから」

濡れたって、晴れるまで干しておけばいいじゃんと僕は思う。

またある日、
母親「お隣さんに雨が降ってると伝えてきて」

インターホンを押すと、ドアが開いた
そのドアの間から煙が溢れ出してきた。

火事だ!

そして、となりのなっちゃんが泣きながらドアを開けたのだ。
弟の同級生である。

僕は自分の家とは反転した間取りの台所へ向かった。
引火はしていなかった。
「窓開けてー」
すべてのまどを開ければ、次第にすーっと煙は消えていった。

原因は、魚を焼いたままお母さんが出かけてしまい、焦げまくって煙が出るというベタな展開であった。
当時、住宅の煙感知器の設置は義務ではなかったので、何も鳴ることもなかった。消防車が来ることもなかった。

魚焼きグリルを開けてみたら、ミイラになった魚が出てきた。

ミイラだミイラだと笑っていたら、なっちゃんは笑っていた。

家事だ!
洗濯物は家事なのだ。
主婦にとって、午前中に家族全員を送り出し、洗濯物を回し、干した洗濯物が雨に濡れてしまうというのは一大事なのだ。
努力が水の泡になってしまってもんだ。

男どもの発想で、また洗濯すればいいじゃんとか、晴れるまで干しっぱなしにしとけばいいじゃん、なんてのは通用しないのである。

先日のお隣さんは、隣の家の一大事を見過ごすことができなかったのである。
僕らの世代、そして男にはわかりづらいかもしれない。

お隣さんとうちの母親はだいたい同世代とみられる。
そういう世代なのだ。

洗濯物が濡れたら一大事。

この世の中にある文化で、古き良き風習と古き悪習に分けるとしたら、古き良き風習に分類したい。でも、僕らの世代にできるかなぁ。

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