
田中屋のコーヒーを推していない喫茶店のおいしいコーヒーを歩く
ランチは880円であったが、1000円になり、いつの間にか1500円になった。
今は行っていない。
僕は880円時代からいかなくなった。値段が上がったからではない。
それはなぜかというと…
ある日、量が多かったのだ。
たしかチキンカツだった気がする。
隣の若い女性客はペロリと食べたのだが、僕は残してしまったのだ。女将さんは、持ち帰りに包みましょうかって行ってくれたんだけど、それもなんか恥ずかしい気がしたんです。
「男が残してすみません」みたいなことを行った気がする。
それから生きたくてもなんか行けなくなったのだ。
ランチにはコーヒーがついていて、そのコーヒーがおいしかった。
それを思い出す。
夜行ったら高いからなぁなんて思いながらも、行くことにした。
コーヒーを推していないのにおいしいからだ。
コーヒーを推していておいしくないコーヒー屋、あるよね。
これから、コーヒーを推していない喫茶店をめぐろう。
今回が第一回である。
田中宏明
シティスナップ「あなたにエレジー」

男と女もヘンな唄 デュエットバンドあなたにエレジー
エッセイ「コーヒーにうるさい喫茶店」 作/奈良あひる
うちの近所に、少し気取った喫茶店がある。入口には黒板が立てかけられていて、「本日の焙煎、エチオピア深煎り。挽き方は豆に合わせて三段階」とある。こういう掲示を見ると、どうも身構えてしまう。店主のこだわりは、コーヒーそのものより先に、こちらの肩に乗ってくるようだ。
先日、用事のついでに寄ってみた。酸味がどうの、油分がどうの、と説明を受けながら、私はただ、温かいコーヒーを一杯飲みたいだけなのに、と内心つぶやいていた。店主は丁寧に豆を量り、神妙な面持ちで粉を挽く。抽出の間は、まるで祈りでも捧げているかのように静かだった。
ところが運ばれてきたその一杯を口に含んで、私は思わず目を瞬いた。苦いだけで、香りがどこにもいない。まるで誰かが、こだわりだけを先に連れて行ってしまったみたいだ。豆も、挽き方も、抽出も、途中で置き去りにされたのだろうか。カップの底からは、どこにも見つからないはずの雑味だけがひょっこり顔を出していた。
店主の期待に満ちた視線を受けながら、「おいしいですね」と言うのは、さすがにちょっとした演技が必要だった。帰り道、口の中に残る苦味を散らすように、商店街の風を深く吸い込んだ。
思えば、こだわりというものは、押しつけ始めた途端に軽くなる。肩肘張らずに淹れた一杯のほうが、案外、私の心の皺を伸ばしてくれたりする。うちで適当に挽いて、湯をざっと注いだだけのコーヒーが妙においしく感じられるのは、そのせいかもしれない。
今度あの喫茶店に行くのは、もう少し気持ちに余裕がある日がいい。こだわりを楽しむには、こちらの肩が軽くないといけない。そんなことを考えながら、家に着くなり、いつもの安い豆でコーヒーを淹れた。湯気の向こうで、ふっと笑ってしまうくらい、ほっとする味がした。
