田中屋の「普通の日記」6月26日

外食記録と日記
外食記録と日記

ー内装の打ち合わせにいくー

まだ物件は自分のものになっていないが、なるものとして、相模原の内装屋へ打ち合わせにいく。

緑道を歩いていると、それ沿いの家が、その緑道を自分の敷地かのように使っている人がいる。
自分に関係のないことだが、いいなぁ、ずるいなぁ、何て思ったりする。
それも含めて、運であり、緑道ができる前からここに住んでいたなどと事情があるかもしれない、井の頭公園の中に住んでいる人もいるように。

もしかしたら、公園を作るにあたって、立ち退きの話もあって大変な想いもしたかもしれない。それでも断固主張したのか。
そういえば、祖師ヶ谷大蔵の公園整備の際、立ち退きの話をしていて、断固拒否続けていた家に悲劇が起きたと聞いたことがある。

ー内装屋に着いたー

決めていた色を、カタログで実際どの壁紙を使うか決めていく。
決めきれないところもあり、カタログを持って帰る。
次の物件は借りる家でもないわけで、自分の家になるかと思うとなるべく挑戦してみたいと思うものである。だれになにも文句言われない。自分でやっていて経験となるだけのことである。うまくいけばまた楽しくなる。

内装もされていない物件であったことが、内装を自分で考えるという機械をくれたというものだ。すでにできていれば、考えることもなく手間もなく、楽なのであるが、このきっかけはありがたかった思う。

MINT(うちの妻)は内装もバリっと完成している物件の方が分かりやすかったというところもあったようだが、ここは縁として、今回内装を施す、浴室・洗面所・台所は、自由に型や色など決めていくことを楽しんでもらいたい。

改装というものは少しの寂しさもあったりする。いまあるものも良さがあり、歴史もある。ただ経年のつかれや機能性の低下もあり、リニューアルされていくものである。昔からその姿を知っているひとは、壊すのはもったいなかったとか、退化したとか言うかもしれない。

下北沢にすんでいる頃、多くの建物が生まれ変わっていった。しかし、その町に住んでいるだけの自分には、前の方がよかったんじゃないかなぁ、なんて思うものなのです。駅前食品市場や駅舎もそうだ。ミケネコ舎やジャズ喫茶マサコが入っていた建物もそうだ。
しかし、実際の所有者となると、機能性・収益性なども考え生まれ変わっていくしかないのです。

結局何を基準に考えるかといったら、次の世代のためということになるんでしょう。僕はそう理解してます。理解という言葉でもなく、知っているというか、わかっているというか。

僕がその物件に住むようになったら、以前そこに住んでいた人が、次の世代のために譲ってくれたのだとも思えます。

僕が今回引っ越したとしたら、それはまた次の世代のためともとれます。

もちろん譲らない人もいると思います。当然その人の権利であり、何の問題もなく、何も悪くありません。

ただ、譲ってくれたひとに感謝の想いがあります。

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