横浜ルームナンバー」第7話 奈良あひる

短篇小説

雑誌が発売されたのは、金曜日だった。

私はわざわざ近所の書店ではなく、関内の駅ナカの売り場まで足を延ばした。
平積みされた表紙は、白地に細い黒字で「特集:関係のはじまり方、終わり方。」とだけ書かれていた。

カフェに入り、紙袋から雑誌を取り出す。
レジで渡されたときには、ほんの少しだけ指が震えていた。

彼が撮った写真が載っている。
その中のいくつかには、シャツを脱ぐ私の横顔や、腰布一枚で立つ後ろ姿があるはずだった。

──けれど、目に飛び込んできたのは、彼の妻の記録だった。

本文の中で、彼女は言っていた。

「この企画は、男と関係を持つためではなかった。
ただ、自分を見てほしかった。
もう一度、“女”として夫の目に映りたかった――」

そして、同行した男性との記録も、予想よりずっと生々しかった。

旅館の部屋で、男の指が自分の中に入ってくる瞬間。
ベッドの上で、名前を呼ばれながら何度も抱かれた夜。
それを、赤裸々に、けれど品を崩さず綴っていた。

彼の名前はどこにもなかった。
けれど、その語尾の揺らぎ、主語のにじませ方、そのすべてが、彼女の心がまだ夫に向いていることを物語っていた。

***

翌週、私は彼と508号室で会った。
彼は雑誌を持ってきていなかった。
そしていつものようなキスも、すぐにはしなかった。

「……君は、あの記事、読んだ?」

私は頷いた。

「正直、びっくりした。あんなふうに書くなんて……」

「妻が、俺に向かって話してたって、わかった?」

彼は、息を吐いた。

「うん。……気づくのが遅かった」

その言葉のあと、しばらくふたりとも黙った。

「あなた、彼女に戻るの?」

私がそう訊くと、彼ははっきりとは答えなかった。

「……気づいたんだよ、バカみたいに。
あいつが体を使って、何かを訴えてたって。
俺は“記録だろ?”って平気なふりしてたけど、心の中じゃ、焼け焦げそうだった」

「それは、あなたの中に、まだ愛が残ってたってことよ」

私は静かに言った。
意地や妬みでなく、ただ、やっと真実が形を成したような気がして。

「……君と過ごした時間は、嘘じゃない」

「うん。私も」

「でも……」

「でも、エンディングは、私じゃなかったのね」

彼はうつむいたまま、私の手を取った。
あたたかいけれど、もうどこか遠くの温度だった。

その夜、私たちは抱き合わなかった。
何も脱がず、ただベッドの上で背中合わせに寝転がった。

***

家に帰ると、夫がダイニングテーブルにパーツを並べていた。
新しい戦車模型。
説明書を読みながら、小さなパーツをピンセットで取り分けていた。

「接着剤、なくなりそう」

「今度、買ってくるわ」

「うん。ありがと」

夫は手元から顔を上げなかった。
けれどその指先の動きは、いつもより丁寧だった。

私は冷蔵庫から麦茶を取り出し、ゆっくりと飲んだ。
胸の奥に、まだ熱が残っていた。

けれど、泣くほどの未練ではなかった。
ただ、「いいドラマだったな」と、あと味の悪くない連続ドラマを見終えたあとの、あの感じに似ていた。

ソファに腰を下ろすと、隣の部屋から夫の声がした。

「次は飛行機でも作ろうかな」

「そうね。青いのがいい」

パーツの箱を開ける音が、夜の台所に響いていた。

つづく

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