=青春プチロマン小説=ありそうでなさそうで、それでも起きそうなロマンスをお届けする短篇小説。きっとどこかで起きている。
第4話
彼が、いつもと違う空気をまとって現れたのは、八度目の逢瀬だった。
「……これ、見てほしいものがあるんだ」
伊勢佐木町の508号室。
カーテンを閉め、ベッド脇の照明だけが灯る薄暗がりで、彼はノートPCをバッグから出した。
まるで家出少年のような顔をしていた。
映された画面には、見知った女性――彼の妻が映っていた。
ホテルと思しきベッドの端に、ガウン姿で座っていた。
「妻が……自分で撮ったらしい。記録の一環、だと」
その声には苛立ちより、どこか呆れたような乾きが混じっていた。
画面の中で、女は男とベッドに移動し、キスを交わした。
唇が何度も重なり、手が胸元へと忍び込む。
彼女は微かに笑い、男の首筋に吸い付いた。
「……これ、演技?」
私が思わず訊くと、彼は、深く首を振った。
「妻の笑い方、嘘のときは唇だけで笑う。でもこれ、喉が鳴ってる。……あいつ、本気だ」
画面の中で、女が脚を開き、男がその間に顔を埋めた瞬間、
彼が、パタンとPCを閉じた。
「もう無理だ」
その声と同時に、私の腕を掴んだ。
強く、荒々しく、けれど震えていた。
「ねえ……今、わたしを見てる?」
「見てる。……見てるから、どうにかなりそうなんだよ」
私の肩に噛みつくようなキスが落ち、ワンピースの背中が一気に剥がされた。
「……触れて、確かめないと、壊れる」
私は背を反らせ、両脚を彼の腰に回す。
「……まって……少しだけ……」
「まてない。あいつの中から、あの男の匂いが消える前に、君の中で溺れていたい」
「君は、俺だけだよな……?」
「……うん、うん、私の中には、あなただけ……っ」
「あの映像、焼きついてる。でも、今ここで……全部塗りつぶす」
汗ばむ彼の体にしがみつきながら、私は果てた。
頭の奥で白く弾け、体が浮いたような感覚。
それでも彼は止まらなかった。
もう一度、深く沈み込み、私の名を呟いたあと、震えながら果てた。
***
ベッドに沈んだまま、私たちはしばらく何も言わなかった。
シーツの中で、私の指を握り返す手があった。
「……あれを見たことで、君を抱いたのか。君を抱いていたから、あれが許せなかったのか。もう、自分の感情が混線してる」
私は、枕越しに彼の頬を撫でた。
「いいの。今はそれで」
「……こんな風に、抱いたこと、なかった」
「うん。私も、こんなふうに、抱かれたこと、なかった」
部屋の時計が、静かに深夜の時を打っていた。
伊勢佐木町の小さなラブホテルの一室。
誰の物語なのか分からないまま、私たちはまだ、登場人物のままでいた。
つづく
作者紹介
奈良あひる 1990年生まれ 渋谷のサラリーマン