田中屋の夕刻日誌
「高校の時に食べた伊豆のウニ丼2000円」
文と絵/田中宏明

夕刻日誌
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とんねるず「レコードを買ったぐらいでファンになったと思うなバカ、1枚買ったというのはスタートラインに立っただけだ、自分用保存用プレゼント用の3枚買ってはじめてファンだからな!」
みたいな台詞の記憶があります。

昔伊豆にいったとき、ウニを推しているお店でウニ丼を食べたが、味は難しかった。2000円ぐらいした。興味深かったとしか言えないものでありました。
先日ウニの話になって、それを話したら、その人は得意気に「いいウニはくさみがないよね」と言う。たしかにくさみはなかったけれど。

「ちょっと待ってよ」
高いお金を出してやっとくさみがないものを食べられればいいというのは勘違いが混ざっている。高いお金を出したら、美味しいものが食べられるというのが、基本構文である。美味しいかどうかが大事であり、くさみがあるかどうかというのは別テーマなのである。
くさみがないだけでありがたみの圧を発し、おいしさに関して触れていないこの発言は誰のためのものなのか。誰得なのか。くさみがないだけで上にうけると思っているのか。

料理としてくさみがマイナスポイントであるのは一般的考えである。
くさみをうまく取り除き美味しさを引き出すのが料理人なのであり、
くさみがないなんて、その世界で言えばはっきりいってスタートラインに立っただけなのである。そこから走り出せるのか、また、他の走者より優れたものになるのかが大事なわけで。

「いいウニはくさみがない」というのは何が言いたかったのか。
その続きを聞いてみた。
彼は言った。
いいウニにはくさみがないよね。それはナウシカが地下室で勝手に育てた植物のように、人間による汚染にさらされていない水と空気があれば、植物も毒を出さないというのと同じで、ウニにくさみがないと言うことは、海がきれいな証拠である。そして、それを海からお借りした漁師さんがいて、それをさばいた料理人の心もきれいでなければ、くさみのないウニ丼は誕生しない。これはもう味の話を越えていて、そんなことはどうでもよくて、きれいな海に出逢えたこと、その海・その町を愛する人がいて、東京から何の目的もなくポンと来た人がそれに出会えたこと、これはもう奇跡に近い。食べ物は味なのか、食べ物は壮大な自然の恵み、それは人間も含め自然として正常にまわっていることのメッセージを含んだ、海からの直筆の手紙なのである。伊豆に認められたってことさ。それ以上なにを望むのですか?望んでばかりでなく、何を返すかだよね、恩返し。

という話であった。
人の話は最後まできいてみるものである。

小学生の頃、CDというものが出始めて、アルバム3000円というのは高かった。簡単に買えない。
それでも、お金を出せばCDは買える。だがしかし、かっこよくてしょうがないアーティストに出逢っていなければ買えないのである。はじめて買ったとんねるずのCDは「がむしゃら」というアルバムだった。飯能の中古屋で買った。あの店まだあるかなぁ。

あの伊豆のウニ丼2000円、また出逢えるかなぁ。

田中宏明

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第61回!「BerryBreakBreakfastのオールスターズ直江津Radio」ヨーグルト田中とDJシューカイ #ラジオ

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