田中屋の夕刻日誌「尾崎豊の忘れ物」

夕刻日誌
夕刻日誌

絵と文/田中宏明

そういえば高校時代は尾崎豊の墓によく行ったものだ。
当時のバンドメンバーとギターを持って、西武球場近くの墓へ行くと、誰もいないときはなくて、ギターを弾けば、まわりも歌い出すような景色だった。

尾崎はどうしてそんなに有名になったのか
と、尾崎をあまり知らない世代に聞かれた。

第2次自分のことを歌うブームのヘッド(総長)だった
のではないだろうか。自分も知ったようなことは言えないが、思い出すきっかけになった。

僕が小学1年の頃、僕らの七日間戦争という映画があって、後の中学入り、担任の先生は「あの映画が流行ったとき、家出する人が続出した」と話していた。教師の立場が強く、偏差値社会、学歴社会、夢や自由なんてのは置き去りにして、レールの上を走ることが幸せであると押し込まれてきた。90年代が10代組であるぼくらもそのような節はあった。

80年代につっぱりのような、悪さしてても優しくて粋で不器用で一途みたいな像に憧れていて、それを商品化していない状態で叫んだのが尾崎豊だったのではないかと推測しております。

80年代のテレビ、音楽番組も僕は大好きであります。完璧な曲に完璧な作曲家の詞がついて、衣装さん照明さん振付師や舞台美術さんなどがいて、最高のエンターテイメントショーを作っていた。そんな時代をよき時代と振り返ったりします。

フォークソングは反戦歌みたいな時代に、吉田拓郎がリーダーとなり、ギターひとつで自分の身のまわりのことを歌うことでブームとなった70年代フォークがあり、80年代に自分のことを叫んで歌ったロックが尾崎豊かで、同じくテレビに基本出ず、売れるため金のためにやってるんじゃねぇよ、というステージは、テレビ歌っている人または歌わされてる人なんてフェイクだ、バッタモンだ、尾崎が本物だ、と鬱屈した10代のパワーが流れ込み、尾崎豊かの世界を増幅していったのだと思います。思うというか、自分が90年代にそうだったのであります。

先日、約23年振りに所沢・西武球場そばの尾崎の墓に行った。
誰もいなかった。100円玉で買える温もりの缶コーヒーもなけりゃ、タバコもない。
かつては墓の前に大量のそれらが置かれていたものだ。
缶コーヒーを開け、タバコに火をつけて、一口ふかし、火のついた状態で缶の上に置いたのだ。今思えば危ない絵だ。そして大人になった今コンプライアンスは大丈夫か。

僕は墓に向かうあの急な坂道の途中、「コーヒー・タバコのお供え禁止」みたいな看板があるのではないかと思ったが、それはなかった。ここでまた禁止など、尾崎の世界観ではない。ので、よかった。

ギターは持っていかなかったが、また歌いたいな。Cookieとか。

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