田中屋の夕刻日誌「ジブリ映画「耳をすませば」における「頑張れ」論」

夕刻日誌
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ジブリ映画「耳をすませば」の劇中に 「自分よりがんばっている人にがんばれなんて言えない」 という言葉がありました。 主人公 雫(しずく)の言葉です。

これは、僕にはちょっとした衝撃でした。
これ言っている意味はわかりますが、これを「正しい」とすると結構やっかいなのです。


まず、誰かに対して、何かに対して「頑張れ」と言えなくなるのです。
もしA君が、B君に「頑張れ」と言われたのなら、A君はB君よりがんばっているという認識があるということになります。または、がんばっているかどうかはおいておいても、上の立場にいる認識があるということになります。


頑張れと言われた方も、相手は、自分より立場が上、またはがんばっているという認識があるんだな、と思ってしまうわけです。

僕は雫と同じ15歳の頃、部下でサッカーをやっていて、「サッカー頑張れ!」と言われたことがあって。それに対して「頑張るぜ!」と思った記憶があります。耳をすませばを観る前です。

映画は僕が中3のころ公開されましたが、その頃は見ていなくて、翌年高校1年の時、クラスの友達にビデオを借りて観たのです。

中学の頃これを観ていたら、どうなっていたでしょうか。

ぼくはその頃から、自分以外応援できなくなってしまったのです。
みんな自分より上だから。

ただ、ジブリとしても、それらを当然含めた上で、選び抜かれた台詞だと思います。

結果的に副作用が起きてしまったとして、僕が勝手に吹き替えるとしたら、


雫「頑張れ!」
雫「(モノローグ)私はもっと頑張らなきゃ」
雫、その場を走り去る


とかかな。


自分がいいように、勝手に吹き替えます。

ぼくは、論題の言葉の副作用で、人にがんばれと言えなくなったと言いましたが、そんな僕のことはどうでもよくて、

この論題は関係なくて、「頑張れ」は使っていい言葉です。特に10代
の頑張れには汚れがなく、輝いています。そんなキラキラを、
ジブリの影響で使わなくなってしまうのは、残念なこと。


誰かを想うときに「頑張れ」を使ってほしい。そんな人がいるなんていいじゃない。自分よりがんばっているがんばっていないなんて概念なんてない。

大人の世界には、見下しや、バカにする意味で「がんばってね」が飛び出すときありますが、10代まして、中学生時代に、ガンガレ論を展開しなくてもいいんじゃないかな。

エッセイ/田中宏明(写真家)

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