「猫背のままで」
六月の終わり、梅雨の晴れ間に、私はヨガを始めた。
職場の同僚に誘われて通い始めた小さなスタジオは、白木の床がやけに静かで、足音さえも吸い込まれてしまうようだった。汗をかくほど動かないのに、帰るころには肩の荷が一つ、どこかへ行ってしまっている。それが心地よく、私は次第に、ひとりでも通うようになった。
その人――尾上先生は、スタジオの主催者だった。
年のころは四十代半ばか、それより少し上かもしれない。髪は短く刈り込まれ、黒いTシャツの下には、鍛えられた背筋がはっきりと浮かんでいた。だが、声は意外にも柔らかく、話し方にはどこか「ゆとり」があった。人を急かさず、沈黙を恐れない男だった。
「肩の力を抜いて。胸を張るのではなく、心を開くつもりで」
先生のその言葉を聞いたとき、私は、自分がいかに長いこと、心を閉じて生きてきたかを思い知った。仕事も恋も、用心深く、手前で止まってしまう。人に本当の自分を見せることが、怖かった。
そんな私に、ある日、尾上先生が声をかけた。
レッスンのあと、タオルをたたみながら、ふいに。
「猫背が、少し治ってきましたね」
その言葉が妙に嬉しく、私は思わず笑ってしまった。
「ええ、でも、心はまだ丸まったままです」
「それは、悪いことじゃないですよ。猫は、賢いですから」
それからだった。私は毎週、火曜の夜のクラスだけに通うようになった。
その時間帯は、生徒が少ない。照明も少し落とされ、空気がゆるくたゆんでいた。マットの上で静かに呼吸を整えるたび、先生の手のひらが背中に触れる。ゆっくり、確かに、私の姿勢を導いてくれる。
それが、たまらなかった。
ヨガは本来、禁欲の行だという。だが、あのスタジオで私は、逆に、自分の欲のありかに気づかされていた。
ある夜、レッスンが終わっても私は帰らなかった。窓の外で雨が降り始めていた。傘を持ってきていない。いや、持ってきていたとしても、私は帰らなかったと思う。
「濡れて帰るのも、たまにはいいかもしれませんよ」
先生が、そう言って笑った。
「先生は、濡れるのが平気なんですね」
「ええ、慣れてます」
言葉の意味を、どちらが先に飲み込んだのかはわからない。ただ、目が合った瞬間、何かが決まってしまったようだった。
私は、スタジオの隅にある更衣室の奥に連れ込まれた。音を立てぬよう、息を殺しながら、先生の手が私のウエアの背中をなぞった。手のひらは、ヨガマットの香りがした。
唇を重ねるとき、彼は何も言わなかった。問いもなければ、許しも求めなかった。ただ、まるでアーサナを整えるように、私の身体に寄り添い、余計な力をひとつずつ解いていった。
私はただ、静かに震えていた。
人に身体を触れられて、こんなに安心したのは、いつぶりだっただろう。愛されたいのではない。ただ、ありのままの姿勢で、肯定されたい。そんな欲が、湿った夏の空気の中で、静かに燃え広がっていくのを感じた。
それは、決して激しいものではなかった。
マットの上で繰り返される呼吸のように、彼との関係は、どこまでも静かだった。連絡を取り合うこともなければ、次を約束することもない。ただ、火曜の夜にだけ、彼は私を猫背のまま受け入れてくれた。
ある日、先生はこんなことを言った。
「人は、まっすぐ立つことより、自分の歪みに気づくことの方が難しいんです」
私は、そのときは笑って聞き流した。だが、あとになってから、あれは私に向けられた言葉だったのかもしれないと思うようになった。
恋というには、余白が多すぎる。欲望というには、静かすぎる。
けれど、それでも――あの火曜の夜の静けさが、私の中の何かを変えたのは確かだった。
私は、少しだけ胸を開いて歩けるようになった。