ラジオ第103回お聞きいただけましたでしょうか。
僕は今聞きました。
え?!聞いてないの?
そうなんです。編集はしているのですが、聞けないときもあるのです。
それは精神状態と、自分の周りの環境によりまして。
ラジオ感想文「直江津ラジオ第103回」
ディナータイムDJシューカイのラジオを聴いた。
近い人(親戚・友人)の死による心のざわつきについてだった。
僕はそんなことも知らず、クリスマスプレゼントにもらったあしたのジョー(DJシューカイも絶賛していた)のことをDJシューカイに連絡したりしていた。

あしたのジョーを読んだことがない人も多いと思います。僕もいままで全く通ってこなかったのだが、当然存在は知っている。
そして、もうひとつ知っていることは、ラストはジョーがリングコーナーの椅子に座っているシーン。(実際このシーンがラストかどうかしらない)
これが死んだのか死んでいないのかという論争。
このことを思い出したりしたが、僕は全巻セットが部屋にあっても、この最後のページはこわくて開けないのだ。
僕は、あしたのジョーは死をテーマにしているものとして、ちょっとびびりながら読んでいるところがある。
DJシューカイは、あしたのジョーに影響を受けていると以前会った時に話していて、おすすめしていた。その場では内容には触れなかったけど。
あしたのジョーのテーマは、DJシューカイの死生観の一部になっていると これは勝手に思っている。
それがあるうえでの今回のラジオの感性のつながっていると思われる。
ラジオ第103回の前半モーニングで奥田民生の90年代テレビ出演を喋りながらあしたのジョーを読んでいて、ディナータイムではDJシューカイの生老病死。
今回の放送を聴いて、人は語らずともドラマが起きていて、それは語ることがないこともある。ラジオというものがあったので、たまたまそれを聴くことができたりする。
人が何か考え事の中にあったりして、物事がすすまなかったりしても、何かと戦っているのかもしれないと思えばいいのだと感じます。それは充実だ。心がざわつくことも充実。それを感じたことのない人がいたら、その気持はわからないわけだから。
自分にそういう時が来ても、それは充実だと思えばいいんですよ。
作者紹介
田中宏明 1980年生まれ 東京都昭島市出身の写真家・放送作家。
2003年 日本大学文理学部応用数学科 ぎりぎり卒業。下北沢・吉祥寺での売れないバンドマン生活&放送作家として日テレ・フジテレビ・テレビ朝日を出入りする。
現在はピンでラジオと弾き語りでのパフォーマンスをおこなっている。
◆写真家:シティスナップとかるーい読物「井の頭Pastoral」撮影・編集
◆放送作家:ラジオドラマ「湘南サラリーマン女子」「わけありキャバレー」原作・脚本
出演ラジオ 第102回
田中屋のシティスナップ
