田中屋の夕刻日誌「昔の言葉はそんなに偉いのか」文/田中宏明

夕刻日誌
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古い例えを更新させよう。

世の中には、昔生まれた言葉・慣用句・ことわざなどがたくさんあります。それらはなにかを伝えるためには便利なもので、その言葉がなかったら何かを伝えたり、説明するのがスムーズにいかなくなります。
便利な言葉ということですね。

しかし、例えがもうだいぶ古くなってきているのです。
意味はわかるが、それいつの時代のだよ!もう時代は令和だぜ!と。

今回更新したい言葉はこちらです。

「矛盾」(読み:むじゅん)

もう誰でも知っている言葉ですね。

ただ、矛と盾っていつの時代だよ!どっちも見たことねえよ!
そんな言葉を今の時代でも使っているあたりが、こっちとしては興醒めなんです。
いつまでも、ベートーベンやバッハ、モーツアルトの曲ばかりおだてあげててもしょうがなだろといったことと同じです。
あれから何年もたっているんだから、新しい世代が新しい曲で、そいつをつぶしちまえと思うわけです。

いつまでも同じものが君臨し続けているなんて、いなか臭くて、ある意味はだかの王様ですね。
本人は面白いでしょうけど。

さぁ、ここでどう更新するかです。

まず、二つの大きな星が必要です。それらが、互いに交わらないから、むじゅんということになるわけです。

○ジャイアント馬場とアントニオ猪木

この二人が思いあたります。

では、どこで矛盾の現象が起きるのか。

ジャイアント馬場のプロレス
「プロレスラーはどんな技でも受け身をとることができる。受身をとれれば、痛くもない」

アントニオ猪木のプロレス
「プロのレスラーは、受け身のとれない攻撃をする」

では、これらがぶつかったらどうなるのか。

これは結局実現しないのである。
馬場対猪木というカードは実現しなかったのである。
馬場猪木、これは矛盾に置き換えられる、言葉なのである。

だがしかし、これも例えが古い。馬場猪木なんて今の人は知らないし、このふたりの考え方なんて、プロレスファンでない限りなお知らないのであります。

なので、例えはせめて平成でなければならない。
それでもだいぶ更新されたことになるのである。

勝負のつかない戦い。
もうあれしかないですね。

「ルパン対コナン」

ぜったいに捕まらないルパン。
ぜったいに解決するコナン。

これは映画になっている。
馬場対猪木が実現したということだ。

大野雄二対大野克夫の夢の音楽共演からスタートする。

結果は「うやむや」であった。

戦わせてはいけなかったのではないかという流れになる。

矛盾には、もうひとつ意味があったのだ。

戦わせてはいけないということ。
馬場猪木も戦わせてはいけないということだ。
矛と盾も結局その商人は実演しないのだ。どうなるのかというときめきを残して。話しかけた人間も、論破をしたくていったわけではなく、
その夢の共演に胸をはずませたのではないだろうか。
矛盾とは人を論破させるために指摘することではなくて、そのどうなるのかという希望の光なのである。

その言葉が、現代では、馬場猪木またはルパンコナンなのである。

矛盾よりもよっぽど深みのある言葉に更新されたのである。

矛盾というのはもう古いしうすっぺらい。

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