作曲memo「もう探さないで」仮 作曲/田中宏明

作曲memo
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作曲memo

もう探すのはやめにしましょう 
出てった恋なら見つかりゃしない
それより明日を夢見て歩く 
あの頃のままのあなたでいて

愛は永遠と信じてしまった 嗚呼 夢月夜

もともとないと思えば 幸せだった日々

もともとないと思えば 嗚呼 忘れられるさ

田中屋の作曲Memo「もう探さないで」作詞・作曲/田中宏明 #shorts #キャバレー #サイドカー


歌詞から小説化「もう探さないで」

電話のベルが鳴ったのは、夜の十時を少し過ぎた頃だった。
 机の上で開きっぱなしにしていた雑誌を閉じながら、加奈子は受話器に手を伸ばした。
「……はい」
 呼びかけの向こうに、ためらうような息づかいがあった。
「僕だ。出てこられないか」
 短くそれだけ告げて、男は切った。

 しばらく加奈子は受話器を握ったまま動けなかった。結婚してからは、こうした誘いに応じるのは愚かだと自分に言い聞かせてきた。だが「探さないで」と言わんばかりの背中をいつも見せて去ってゆくその人の声には、抗えない響きがあった。

 薄いカーディガンを羽織って外へ出ると、夜気が思いのほか湿っていた。タクシーに乗るほどの距離でもなく、歩くたびにサンダルの踵が小さく鳴った。

 待ち合わせの喫茶店はもう閉まっていて、代わりにその隣の古びたバーの扉が開いていた。黄色いランプが、半分眠っているように光っている。

「来てくれたんだ」
 奥の席に彼はいた。白いシャツの襟が少し皺んでいる。彼の目元は、仕事帰りの疲れなのか、それとも別の緊張からなのか、柔らかく影を落としていた。

 二人並んでグラスを傾けるうちに、言葉は次第に少なくなった。店のスピーカーから流れる古いジャズが、加奈子の心臓の鼓動に重なってくる。

「外に出ようか」
 促されるまま歩き出すと、街はすでに人影もまばらだった。ガード下を抜けると、夏草の匂いが風に混じる。

 彼は急に立ち止まり、加奈子の手を取った。その手は驚くほど熱く、しかし震えていた。
「……探したくはなかったんだ。本当は。でも、どうしても」
 低い声が夜の静けさに吸い込まれていく。

 加奈子は笑うしかなかった。探さないで、と自分に言い聞かせながら、こうして来てしまったのは誰あろう自分自身だったから。

 ホテルの灯りが見えたとき、足を止める理性はどこかへ消えていた。

 小さな部屋のベッドに腰を下ろすと、二人の距離は否応なく縮まった。明かりはつけたままなのに、影が絡まり合っているようだった。
 彼の指先が加奈子の髪をすくい上げ、耳の後ろをなぞる。くすぐったさよりも先に、体の奥で波のようにざわめく感覚が広がっていった。

「忘れられないよ、君を」
 囁きとともに肩に唇が触れた。ほんのかすかな重みなのに、胸の奥に火を点されたようだった。

 互いの衣擦れの音が重なり、吐息が近づいていく。直接的な言葉を交わさなくても、身体が求め合ってしまう瞬間を、加奈子は恐ろしくも愛おしいと思った。

 時間が止まったかのように、外の世界は遠ざかる。二人だけが閉じ込められた小さな宇宙で、静かに、しかし確かに境界を越えてしまった。

 ――帰り道、加奈子は空を見上げた。雲間からのぞく月が、淡く滲んでいる。
 探さないで、と言いながら、結局は見つけられたいと願っていたのだ。

 家の明かりが近づくにつれ、背中にまだ彼の体温が残っているのを感じる。そのぬくもりが消えてしまわないうちに、胸に抱きしめた。

 翌朝、いつものように食卓につき、夫と向き合う。新聞を広げる音、味噌汁の湯気。日常は何事もなく流れていく。
 けれど心の奥底には、昨夜の夜気の匂いと、耳もとに落ちた囁きが、消えない影のように揺れていた。

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