『呼吸の間(あわい)・後編』
その夜から、私は週に一度、佳子の部屋へ通うようになった。
口約束のようなものだったが、私たちのあいだに契約めいた空気はなかった。ただ、夕方の光が薄くなる頃、私は決まって四階の階段をのぼり、引き戸の前で立ち止まる。インターホンなど押さない。畳の軋む音を聞きつけて、佳子は必ず、そっと扉を開けてくれる。
「……来たね」
その声の湿り具合に、その日が静かな夜になるか、火照った夜になるかを、私はだいたい察した。
この夜は湿度が高く、二人ともTシャツを一枚ずつ着ていたが、部屋に入るや否や、汗が滲んだ。
「服、脱いでいい?」
佳子がそう言うとき、それは確認でも許可でもなかった。彼女は目を逸らさずに私を見つめたまま、濡れたシャツをたくしあげ、スポーツブラごと脱いだ。胸元から首筋にかけて、まだ陽焼けの名残があり、白と褐色の境界が、女というより獣のようななまめかしさを帯びていた。
私も静かにTシャツを脱いだ。下着越しに肌が触れる距離で、佳子が私の顎に指を添えた。
「ちゃんと吐いて……深く、ね」
そのまま口唇を重ねられた。最初のキスは、浅く、形だけ。次に唇が離れた瞬間、彼女の舌がわずかにのぞいた。それが、私の中の何かをこじ開ける合図だった。
その夜、私たちは畳ではなく、置かれたヨガマットの上に身を沈めた。
「脚、ひらいて」
彼女の声は、呼吸を吸いながら吐くときのように穏やかで、ひとつの命令でもあった。私の膝の内側を撫でるように開き、彼女は股間に顔を寄せた。ショーツ越しに、じっと何かを聴いているような仕草をしていた。
「濡れてる。……さっきから?」
答える前に、ショーツが静かに下ろされた。室内の空気があたたかくそこへ触れた直後、佳子の唇が吸いついた。
私は声を出せなかった。天井の木目がぼやけて、遠くの電車の音が耳の奥で溶けた。
舌が触れたのは、ほんの一瞬だったのに、全身が跳ねた。彼女は、私の奥のほうを探るように、ゆっくり、ゆっくりと指を差し入れた。濡れていたから、痛みはなかった。代わりに、指が第二関節まで達したとき、奥の奥にまで染みるような熱がひろがった。
「奥まで、入れていい?」
私はうなずくしかなかった。
指が二本になったとき、私の腰が自然に浮いた。佳子は片手で私の太ももを押さえ、逃げないように固定した。そのまま、何度も、何度も、少しずつ深く。膣の奥が擦れるたび、震えが脚の付け根まで走った。
「きもちいい?」
言葉にならず、ただ喉の奥で喘いだ。
やがて、佳子が自分の身体を私の上に重ねてきた。濡れた脚が絡み合い、陰毛が擦れあう感覚だけでも、頭が白くなる。互いのクリトリスがぬるりと触れた瞬間、思わず声が漏れた。
「んっ……あっ、やだ、声が……」
「いいよ、我慢しなくて」
そう言って、彼女が腰をぐっと押しつけてきた。濡れた音が、生々しく静寂に溶けた。交互に押し当て、擦り合わせるたび、まるで内臓が絡みあっているような錯覚に陥った。
背中が弓なりに反ったまま、私は一度、絶頂を迎えた。佳子の腕の中で、声も涙も漏れていたのに、自分では気づかなかった。
事のあと、彼女の脚の間に顔をうずめたまま、私は長い呼吸を繰り返した。汗と愛液の匂いが畳に染み、湿った髪が頬にくっつく。
「……私、あなたの体の音が好き」
佳子がそう呟いた。私はもう、息を吸うことしかできなかった。すべてを呼吸でしか返せなかった。
彼女の指が、また私の髪を梳いた。
あのときと同じように。