官能小説の習作3

短篇小説

「白い湯気」続々編 — 濡れ縁 —

それから、二週間が過ぎた。
彼からの連絡はなかった。
私も連絡しなかった。
互いの番号さえ知らないのだから、それは当然のことだった。

ただ、土曜の午後になると、百貨店の食器売り場の周りを、つい歩いてしまう。
それが、癖のようになっていた。

四週目の土曜、彼はいた。

「君は……ほんとうに、来ると思ってたんだよ」

彼の声には、どこか安堵が滲んでいた。
それが、嬉しいのか悲しいのか、自分でもわからなかった。

「久しぶりに、いい椀が入ったんだ。寄ってく?」

そんな口実に、私は首を縦にふった。
本当は、理由なんて、要らなかった。

***

部屋に入ると、また湯がわいていた。

鍋の中には、豆腐だけでなく、今日は春菊や椎茸、葛切りが加わっていた。
食卓が少し、彩りを増している。

「今日は、ご馳走ね」

そう言うと、彼は少し照れたように目をそらした。

「……誰かを、もてなすのが、好きなんだと思う。
ただ、それが何のためかは、自分でもよくわからない」

食事のあと、私たちは、湯の残った鍋を見つめていた。
冷めゆく鍋の中身が、まるで私たちの関係の温度そのもののように思えて、胸がきゅっとした。

「泊まっていけば?」

その言葉が聞こえた瞬間、背中が一度だけ、震えた。

答えないまま立ち上がり、私は静かに彼の前にしゃがんだ。
両膝を揃えたまま、顔を上げる。

「また……抱いてくれるの?」

彼は、ほんのわずかだけまゆをひそめた。
それは戸惑いではなく、戸惑いのふりだった。

「そんなふうに聞かれるの、初めてだな」

そう言いながら、彼はゆっくりと、私の頬に触れた。
その手のひらに、まだ湯気のような温もりがあった。

***

ベッドの上で、私は裸のまま、うつ伏せになっていた。
彼は後ろから、背中に顔をうずめるようにして、私を抱いている。

「君の匂いがする。うちの寝具に」

「いや?」

「いやじゃない。……むしろ、いい匂いだと思ってる」

しばらく黙ってから、彼は続けた。

「湯豆腐は、飽きないね。
でも、そう言って食べる女は、いつかいなくなる」

「私は?」

彼は答えず、ただ、私の肩に唇を押しつけた。
そこに、答えがあるような気がした。

***

朝方、雨の音で目が覚めた。

カーテンの向こうで、静かに降る雨。
まるで昨日の夜が洗われていくようで、少しだけ寂しかった。

私はキッチンに立ち、初めて彼のために、味噌汁を作った。

冷蔵庫に残っていた豆腐とわかめを入れた、簡単なものだった。
火を止めると、白い湯気が立ちのぼった。

彼が背後からやってきて、鍋のふちに手を置いた。

「……そのうち、君の味に慣れて、離れられなくなるかもしれない」

冗談のように言いながらも、声が、すこし震えていた。
私は黙って椀によそい、テーブルに並べた。

二人分の椀。並ぶ箸。

何も言わず、二人で湯気を見つめていた。
そのぬくもりが、いつまでも消えなければいいと、心のどこかで思っていた。

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