プチ官能小説の習作「茄子の煮たヤツ」 奈良あひる

短篇小説
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短篇小説

「茄子の煮たヤツ」

 雨が降っている。今日もまた思い出す人がいる。


駅前のスーパーで茄子が五本百円だったから、ついひとつ手に取った。艶のある紫色の皮に、自分の手元がぼんやり映った。

 まだ暑さの残る九月のある日、彼はわたしの部屋に来た。会社の上司で、十歳年上。歳の割に無口で、煙草の火をつけるときだけ、少しだけ目が緩む。私はその表情が好き。

 その日も、私は茄子の煮びたしを作っていた。油で軽く揚げて、だしで煮含めると、部屋中に懐かしい匂いが広がる。
男「おふくろの味だな」
ぬるくなった焼酎をくいっと飲んだ。

 ふと、襟元に手が伸びた。抵抗する気には、なれなかった。いや、抵抗しないことを、あらかじめ決めていたのかもしれない。扇風機の風にレースのカーテンが揺れて、彼の指が、わたしの背中をたどった。爪の先まで、心が敏感になっていた。

 男と女が一枚ずつ薄皮を剥がすように、言葉を交わさずに近づく時間。

 目が覚めたとき、彼はいなかった。まるで、最初から居なかったように。台所には空の皿と、少しだけ残った煮びたし。冷蔵庫に貼られたメモに「美味しかった」とだけ書かれていた。

 私は洗い物をしながら泣いた。理由なんてわからなかった。ただ、茄子の皮がふやけて、手の中で崩れていくのが妙に哀しくて。

 今日も、茄子を煮た。でも味が決まらない。だしが足りないのか、あるいは、あの人の不器用な手つきが、隠し味だったのかもしれない。

奈良あひる

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