田中屋の夕刻日誌「“授かる”を深読みする」作/田中宏明

夕刻日誌
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=夕刻日誌=日常はエッセイにするとちょっとメルヘン。卒論のネタとスナックのママの話題のツマミとは似たようなものだ。デートにも使える話題のネタを紹介。満員電車のゆめかわいい暇つぶしにも。

授かる

やたら丁寧な言葉だな。

これが第一印象でございますが、要は「もらう」ということですね。僕はあんまり授かるという言葉は使いません。いや、一切使いません。

それに類する言葉として使うのは「頂く」かなと思います。

「頂く」と「授かる」のニュアンスの差

頂くは、自分で取りに行った意味が含まれているように思います。

ルパン「獲物は確かに頂いたぜ!」

みたいなことです。

授かるにはそれはなく、勝手に自動的に、受動的に贈られてきたようなイメージを持ちます。

現代において「授かる」という言葉はどのように使われるか

僕がよく目にするのはこれ

大切なお知らせがあります。結婚することになりました。同時に第一子を授かりました。

これを使うのは女です。そして、何かしらアーティスト活動など、人前に出る活動をしている人が主にこの文を構文(パターン)のように使います。

深読み

これはどのように深読みできるか。

はっきり言ってできちゃった結婚です。それは全く悪いことではありません。しかし、メッセージとしては、

本人が世間に対しては、私は男とやっていません。神的なものから、赤ちゃんを授かったのです。コウノトリが運んできてくれたのです。と、そのように読み取れます。

これはファンへ向けてということになるのでしょうか。

私の意思で子どもを作ったわけではないというところまでイメージが伝わります。こんなはずじゃなかった!ぐらいな!

ですので、授かったという言葉を使っていたら、「不本意にできてしまったのですか?」という質問が出てくるのは自然な流れになります。本当はただその場の行為だったのが…。

なので、「子どもができました!」ぐらいの表現の方がいいと思っています。それは子どもにとってね。子どもがこの文を見たら同様に「授かるってなんだよ、作ったんだろ!できちゃった結婚なのか?」ってなりますよね。

子どもができるのには運も大いにあると感じています。やってもできない。なので、できたことはかなりありがたいことです。神様の力なのかはわかりませんが。やったーって感じです。

授かりました

何をクールにキメようとしてんだよ。

メルヘン解釈

このニュアンスの細かさが、作詞や俳句を描くものとしてはあってよかったと思っています。その方が妄想できて楽しいから。

作者紹介

田中宏明 1980年生まれ 東京都昭島市出身の週末の写真家・放送作家。2003年 日本大学文理学部応用数学科 ぎりぎり卒業。下北沢・吉祥寺での売れないバンドマン生活を経て、会社員(番組制作→不動産業)となる。◆写真家:シティスナップとかるーい読物「井の頭Pastoral」撮影・編集◆放送作家:ラジオドラマ「湘南サラリーマン女子」原作・脚本 オールデイズ直江津Radioで放送

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