「言葉は生きている」「時代により意味も変化する」なんてことはもう手垢がつくぐらい使い古され、縄文時代がらわかっていることである。
使い方や意味合いが吹き込まれて、使いにくくなってしまうことがあれば大いに不本意である。
使い方が間違っているなんて指摘は寒さ耐えきれない。その時間が。
その代表格を紹介しよう。
「了解」という言葉
これは決め事として、了解という言葉は、上が下に対して使う言葉として決められた過去があるという。
辞書なんていちいち引かないが、「あなたの言ってることわかりました」という意味で僕は使っています。
しかし、これは上述のとおり、下に向けて使うことばという歴史があるため、「了解しました」という使い方は間違っているとされている。
まちがっているかどうか知らねぇけど、伝わるけどね。上に向けて、「しました」「致しました」をつけることで表しています。
例えば、上司の指示に対して「承知しました」ということだ。
これは結局知っているか知っていないか論であり、それを争っているだけの話で、発展には全く貢献しておらず、むしろ足を引っ張っています。
これに多くの年上は意識することもなく、
「最近の若いものは…」でかたづけます。
「なるほど」「なるほどですね」も同様であります。「なるほど」と思ったときに、その言葉を使わずに「なるほど」を表現するにはどうすればいいのだろうなんて考えに時間がとられてしまい、話が進まなくなります。
ビジネスマナーの記事なんか見てみると「使わないほうが無難です」なんて、つまらないことが書いています。みんな黙っていたほうがいいというアドバイスです。
ではこれらのつまらない問題について、どのようにすすめていけばいいのか。
これは僕にもまだわかっていません。
なので、卒論のテーマなのです。
昔から答えのひとつは、その世代の人が全員いなくなることを待つことです。
年寄を変えることは大変な労力がいります。
まして、会社などにいるあるひとりがいなくなるのを待つのではなく、その考え方の世代全員がいなくなるまで待つというのはかなり時間もかかります。
僕たちができることは、その世代の人が、これらの言葉遣いを指定するところを観察して、数を数えて、ネタにすることぐらいなのではないかなと思っています。
それでも、近いうちに「了解しました」と「なるほどですね」は一般的に使える日が来ると思っています。
それまで、僕も使いませんけどね、無難にw
そういえば、吉田栄作版ではないマネーの虎でも、「なるほどですね」と相槌をうった志願者を、虎みんなに寄ってたかって詰めてましたね。
話題が、志願者のプランではなく、そこにいってしまって、論点ずらしを感じました。
文/田中宏明エッセイスト
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