「雨、上がりましたね」後編

短篇小説
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真砂子はある晩、町内会の集まりの帰り道、高橋に声をかけられた。雨上がりの夜道は静かで、街灯の淡い光が二人の影を長く引き伸ばす。

「少し、寄っていきませんか」

高橋の言葉には、普段の穏やかさとは違う、少しだけ緊張した響きがあった。真砂子は頷き、いつもより心の奥が高鳴るのを感じながら彼の車に乗った。

その夜、高橋の家は、子どもたちの寝静まった後だった。リビングの灯りは柔らかく、窓の外の雨音が静かに響く。二人はソファに並んで座り、自然と手が触れ合った。軽い肩の重なりに、真砂子は胸の奥にじんわりとした温かさを覚えた。

「……こんな気持ちになるとは思わなかった」

真砂子の声に、高橋はそっと手を握り返す。触れる距離はごくわずかだが、互いの体温が伝わる。言葉にならない緊張と期待が、空気をしっとりと満たした。

やがて二人は、互いの存在に身を委ねるように、肩を寄せ合った。髪の香り、息づかい、微かな体の動き。触れることは最小限にとどめつつも、心の距離は確実に縮まっていく。まるで手の届かない情熱を、そっと抱きしめるような感覚だった。

「真砂子さん……」

低く呼ばれる名前に、彼女は思わず目を閉じた。言葉の温もりと、指先の柔らかさが、胸の奥でほのかに熱を帯びる。二人は互いに体を寄せ合い、触れることよりも、存在を感じることを選んだ。互いの鼓動を確かめるように、ただ抱き合う時間。

その夜、真砂子は初めて、自分の心と体が揺れるのを感じた。高橋に触れられた瞬間だけでなく、彼の気配を近くに感じるだけで、胸がざわめく。罪悪感と同時に、心地よい官能の余韻が全身に広がる。

翌朝、真砂子は自宅で夫と朝食を囲みながらも、昨夜の記憶が頭から離れなかった。夫への愛情は確かにある。しかし、心の奥で新たに芽生えた感情は、抑えられない。高橋との時間は、身体の関係というより、心の親密さの象徴であり、それだけでも十分に彼女の内面を震わせた。

数日後、二人はまた図書館のカフェで会った。視線が交わるだけで、昨夜の余韻が二人を包む。言葉にならない密接さは、互いの家庭の事情を踏まえつつも、揺るぎないものとして静かに息づいていた。

真砂子は心の中で、こう思った。

「触れなくても、心が触れ合うことがある」

肉体を重ねる以上に、互いの心を寄せ合うことが、時に最も官能的であるのだと。高橋に抱かれた夜は、二人の関係の密度を増すきっかけであり、これからの未来を想像させる、穏やかで甘い揺らぎとなった。

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