「宿り」
予定が、こない。
私は、カレンダーを何度も見直した。
夫との再生を誓ってから、もう三ヶ月。
写真家と交わった、あのアトリエの午後から、数えて十二週。
正確に言えば、その直後に、私の身体は何かを抱えた。
最初は疲れかと思った。
そのうち、胸の張りと微熱、そして何より、
内臓の奥でじわじわ育つ“異物”のような感覚が私を苛んだ。
——夫とした夜も、確かにあった。
けれど、それは“あの人”とした翌日だった。
時期の重なりは、残酷なほど明確だった。
病院の帰り道、
小さな封筒に入った母子手帳の写しが重たかった。
手帳の表紙を、家ではまだ開けていない。
リビングの棚に置いたまま、見ないふりをして過ごしていた。
夫の目を見ることができなかった。
それでも、彼は気づいていたと思う。
私の体調も、食欲の変化も、妙に膨らんできた下腹部も。
ある夜、夫が言った。
「……子どもができたら、うれしいよ」
「……そうね」
「……その子が、俺の子じゃなくても?」
心臓が止まりそうになった。
私は震えながら、何も言えなかった。
彼は黙って、私の手を取り、そっと自分の頬に押し当てた。
「正直、わからない。でも……
あの写真展に行ったときから、
俺は、君のすべてを愛するって決めた」
——そんな赦し、もらっていいはずがないのに。
その夜、私は彼に身体を差し出した。
妊娠した身体が恥ずかしくて、でも誇らしくて、
彼の手に触れられるたび、涙がにじんだ。
「やさしくして……お願い」
「わかってるよ、無理させない」
シャツを脱がされると、乳房がいつもより重たく感じた。
彼の舌が、乳首に触れるたび、
内側から何かを守るような痛みに変わっていく。
彼の手が、慎重に脚の間を撫でた。
膣口はいつもより敏感で、触れられただけでじんわり濡れていく。
「入れて、いいの……?」
私は、うなずいた。
彼の熱が、ゆっくりと私の中へ入ってきた。
ぬめりと体温が、子宮の奥に近づくたびに、
私はもう一人ではないことを実感した。
「……君の中、あたたかい」
「あなたが、あたためてくれたのよ」
その言葉に、
私はようやく、母になる覚悟を抱きはじめていた。
翌朝、夫が朝食のあと、ぽつりとつぶやいた。
「写真家には……会わないほうがいいな。もう、ね」
「うん、もう十分。私たちには、未来があるから」
でも、その日の午後、
私は一人、郵便局へ出かけた。
便箋一枚に、短い手紙を添えて。
あなたの写真が、私の中に“命”を残しました。
でもそれは、あなたのものじゃない。
これは、私と、夫と、これから生まれてくる子どもの物語です。
ありがとう。さようなら。
切手を貼った封筒を投函したあと、
私は腹に手を当てた。
あの日、露出計の向こうにいた私は、
もういない。
今ここにいるのは、
すべてを抱えた女として、
ひとつの命を育てていく“わたし”。
私は、光のなかへと歩き出す。