田中屋スポーツ新聞1/8「」編集/田中宏明

外食記録と日記
外食記録と日記

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第2話

それから三週間ほど、私はあのエスカレーターのことばかり考えていた。

 連絡先も知らない男のことを思い出すなんて、ばかみたいだ。

 けれど、手すりのぬくもりと、胸に触れていた鼓動が、なかなか消えない。

 スマホを持たない生活は静かだ。
 呼び出されない代わりに、偶然だけが頼りになる。

 だから夕方になると、遠回りして駅裏のロータリーを通った。
 用事なんてない。ただ、あれが動いているのを確認したいだけ。

 

 冬の風が強い日だった。

 屋根のないエスカレーターはきっぱり冷えていて、手すりは氷みたいだ。
 誰もいない。機械だけが律儀に、上へ、上へと人を運んでいる。

 私は一人で乗った。

 あの日の、古いホテルのシーツの匂いを思い出しながら。

 

 中腹で、下から足音がした。

 コツ、コツ、とゆっくり。

 見覚えのあるコート。文庫本。ポケットに手を入れた、あの歩き方。

 胸が遅れて跳ねる。

 すれ違う瞬間、目が合った。

「やっぱり」

 彼が笑った。

「また会う気がしてた」

 私も同じだった。

 

 二人で並んで、もう一度上まで乗る。

 肩が触れる。
 コート越しなのに、そこだけやけに熱い。

 自然に手をつないだ。前より迷いがない。
 体が、覚えているみたいだった。

 

 その夜、また同じ古いホテルに入った。

 部屋は少し寒くて、窓の外では車の音が流れている。

 言葉はほとんど交わさなかった。
 ただ、隣にいるだけで十分だった。

 気づけば私は、彼の胸に耳を当てていた。

 規則正しい鼓動。
 エスカレーターの駆動音に、どこか似ている。

 その音を聞きながら、いつの間にか眠ってしまった。

 

 それから、ときどき会った。

 約束はしない。
 ただ、あの場所で。

 季節だけが、ゆっくり進んでいく。

 

 夏の午後。

 エスカレーターは陽射しに焼かれて、金属が白く光っていた。
 手すりは触ると熱い。

 私はワンピース一枚で立っていた。首すじに汗が伝う。

 下から彼が上がってくる。相変わらず文庫本だけ。

「暑いですね」

「ほんとに」

 それだけで、体の力がほどける。

 彼がそっと額の汗をぬぐった。
 胸の奥が、じんわり温かくなる。

 

 上まで着くころには、腕が自然に絡んでいた。

 どちらからともなく、ホテル街へ歩く。

 もう相談はいらなかった。

 

 冷房の効いた部屋で、二人並んで腰を下ろす。

 窓のカーテンがゆれて、白い光がゆっくり動く。

 他愛ない話をして、黙って、また話して。

 そのうち、彼の肩にもたれて目を閉じた。

 体温が伝わってくる。
 それだけで、世界が静かになる。

 

 目が覚めたとき、外では蝉が鳴いていた。

 彼の腕が、まだ私の肩にかかっている。

 遠くで、単調な機械音。

 あのエスカレーターみたいだ、と思う。

 どこへ行くのか分からないのに、止まらない音。

 

「また、ここで会えますかね」

 私が言うと、

「動いてる限りはね」

 彼は笑った。

「エスカレーター、止まらないから」

 

 スマホがない私たちは、未来の約束を持たない。

 ただ季節と、あの階段だけを目印にしている。

 それでいい。

 止まらずに、同じ速さで、どこかへ運ばれていく。

 名前もなく、用もなく、ただ隣に立つ。

 あの機械みたいに。

 私たちも、きっと。

本日の献立

朝:ピーマン 味噌汁

昼:Mint弁当

夜:とうふ丼

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