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夕刻日誌「帰宅電車で座りたい場合、どこで待てばいいか」
今日もお疲れ様です。日本中が疲れ果て仕事が終えるとベタに帰宅通勤ラッシュが始まります。
同じ金額(電車賃)を払うなら座りたいなぁ、なんて思います。
本を開くのもやっとな状態で、どの人が先に降りるのかを考えたりします。その人も前で待てばいいのだ。
ここで、人を4パターンに分けてみましょう。
男女、若い人・年をとっている人 の4パターン
まず、一番先に思うのは、年を取っている男。これは、家族のために働き、なんとか結婚して家を買ったのだけど、都内には買えず都心から遠く離れた場所に買ったと予想されます。
次に年を取っている女です。これは結婚している可能が高く、遠くで家を買っており遠くまで帰る可能性が高いです。指輪をしていればおそらく遠いでしょう。していなければ、粋がって都内に住んでいる可能性があります。
若い男。男は都心からの遠さにこだわりがない可能性あり、若い女よりは、遠くへ帰る傾向があります。
女の方が長く電車に乗ることを苦手としています。
結果、早く降りる可能性が高いのは、指輪をしていない女ということになります。
そんなことを考えながら、電車に乗っていた。
田中屋のシティスナップ「BerryBerryBreakfast」

撮影/田中宏明
エッセイ「夕方の電車の乗ると」作/奈良あひる
夕方の電車に乗ると、私はいつも、誰がどの駅で降りるのかを考えてしまう。
座席の端に腰をおろし、網棚の鞄を気にするでもなく、目の前の吊り革を見つめながら、隣の人の靴の形や、膝の向き、鞄の置き方を観察する。そうしているうちに、「この人はあと二駅で降りる」と、なんとなくの予想を立てる。
根拠があるわけではない。ただ、鞄の持ち手に手をかけたままの人、スカートの裾を直しはじめた人、スマートフォンの画面を消して前を向いた人。そういう小さな合図に、人の「降りる準備」を見てしまうのだ。
私の職業は何でもない事務員だが、この「降りる予知」だけは、ちょっとした特技のように思っている。
きょうの帰りの電車は混んでいて、私の前に立つ男の人が一人、吊り革に掴まりながら目を閉じている。ワイシャツの袖口から覗く腕時計の針は七時を少し過ぎていた。顔立ちはどこか疲れていて、けれど靴の先はきちんと磨かれている。こういう人は、家が遠い。まだ降りない。
次の駅で、隣の女性が立ち上がる。紙袋を膝の上に乗せていたから、降りるとき少し時間がかかる。私は自然に脚を引いた。何でもない動作のようで、そこには小さな呼吸のような間合いがある。
人が降り、また乗り、空いた座席に別の人が腰を下ろす。誰もが自分の小さな帰路を抱えながら、他人と肩を寄せ合う。電車はその「他人同士の一時預かり所」みたいなものだと、ふと思う。
誰が先に降りるかを考えるのは、私にとってその中の、ささやかな遊びである。
ただ眺めているだけでは、帰り道はあまりにも長いから。
終点近くになり、さっきの男がようやく目を開けた。
伸びをするように肩を動かし、ネクタイを少しゆるめている。私は心の中で、「そろそろですね」とつぶやく。
彼が立ち上がると、吊り革の輪がわずかに揺れた。その揺れを見て、私はなぜか胸の奥が静かになった。
誰かが降りていくことで、電車の空気がほんの少し軽くなる。そこに、見えない秩序のようなものを感じる。
私もあと二駅で降りる。
窓の外はすっかり夜で、ビルの灯りがガラスに映っている。
誰が先に降りるかを気にしていたのに、気づけば私もその「降りる番」を待つ一人になっていた。
電車の揺れが心地よく、ほんの少しだけ、降りるのが惜しいような気がした。

おしまい
 
  
  
  
  