田中屋の夕刻日誌「小さい話をしよう」文/田中宏明

夕刻日誌
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結婚式のご祝儀というものは、つまりそのお金の受け渡しはいささか疑問である。

って思ったことありませんか?

構図として、うまくいっていない人からうまくいっている人へお金が移動する。
または、うまくっている人からうまくいっている人へお金が流れる、のどちらかに大別されます。

ここまでで何か質問ありますか?

うまくいっている人から、お金が流れていくべきなのでないだろうかと、と思ったりするわけです。

そうでないと結局結婚しなかった場合、お金を払い続けることになり
うまくいっていないひとが大切なお金も失い、うまくいっている人がさらにうまくいくという流れるプールなのです。

僕は結婚できなそうな人だったので、よく結婚式に誘われました。
つまり、結婚式や披露宴に参加するような仲ではないだろうとおもわれる間柄でありながら誘われたということです。
つまりご祝儀稼ぎですね。さすがにいかなかったですが。

世の中には慣習というものがあり、そこに理屈は関係なかったりして、ご祝儀出しても自分が結婚したとき返ってこなかったなんてことを発言したときには、めちゃくちゃ小さいやつだ、と罵られるだろう。

僕は実際は発言しないが、エッセイの中なら発言できる。これがエッセイというメルヘンなのである。それがエッセイの力なのだ。

嘘も真実も自由に行き来できるのである。

しばらくたてばきれいさっぱり忘れられるのである。

今日もMcDonald’sの店員はチャランポランである。大人のまま子供になったようだ。いい意味で。

4月26日21時の店員たちよ。

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