僕は昭和生まれ、平成育ち。10代はまるごと平成である。
あの頃から、疑問だったことがあって、あの頃はそんなことを語る機会もなかった。ブログもSNSもないし。
僕らより上の世代って割りとそうだったと思う。なんか、伝わりづらい話ができる機会が少なかったり。
で、本題は?
たしかに、前置きが長くなりました。
「人を見た目で判断してはいけない」という言葉、というか教えは正しいのでしょうか。
そもそもどういう意味で言っているのでしょうか。
人を見た目で判断することは悪いこと、ぐらいの言われ方をしたものです。
僕はこの教えははっきり言って、間違っていると思います。
この言葉を正しくするには、かなり条件や前提の説明が必要になります。
それがあってのこの言葉なのだと思います。それなしには、どうにも危険な言葉であると思います。
では、この言葉を正しいものととるためには。
見た目、話かけづらいひとでも話しかけてみたらいい人かもしれない。見た目で、遠ざけてしまっては出会いを損する可能性がある。なので、見た目で判断してはもったいないよ。
こういう流れであれば、この言葉は正当化されます。
正しくない例、つまりこの言葉を信じてはいけない例
やべー、電車の中でタバコを吸っている人がいる。ちゃんと話せばわかってくれるはずだから、タバコを吸わないように注意しよう。
そして、注意したら、激昂して殺されました。(小田急線で実際あった話)
電車の中でタバコを吸っているやつに話が通じるわけねぇだろ!
話さなくても見ればわかるだろ!
となります。この危機管理能力低すぎる高校生にはひきましたね。
これは、人を見た目で判断してはいけないと刷り込まれていたことによります。
僕らが小さい頃は、親は説明しなかったものです。
「なんで」ときけば「なんでも」ときっぱり言われたものです。
しかしこれは、大人になればすぐ気づくことです。
見た目で判断されることに。モテるかどうかもそうですし、パッパラパーな格好の人が営業に来ても、きっと言ってることも商品もパッパラパーなんだろうなと思います。
また自分もイカれたファッション(例えばランドセル背負って、腕にダッコちゃんつけて、わらじを履いて、ジャニーズみたに、はだかにジャケット、パンツはびんぼっちゃまみたいにハリボテスーツ)で客先に行っても、これもまたうまくはいかないことに気づきます。例えどんなにいっていることが正しくても。
なのになぜ、大人は見た目で判断してはいけないというのでしょうか。
子供にはそう信じさせておいた方が夢があるという次元でしょうか。
僕ははじめからこう言いたい。
「見た目は人を判断する重大な要素のひとつです」
言ってることが正しいと思っても、見た目が間違っている人の話は疑えということです。
例えば、湘南で海パンの男が、「へい、彼女、海の家でお茶しない?」と言ってきたらついていってもいいけど、相模原で海パンの男が、「HEY彼女、これから、ロマンスカーに乗って江ノ島に行って、海の家でお茶しない?あ、電車に乗るときはちゃんと服を着るから心配しないでね」と言っても、それはやはり見た目NGなのです。
そこで、あの言葉を思い出して、人を見た目で判断してはいけないって言ってたよなぁ。
たしかにこの人、海も川もないところで海パンだなんていかれてるけど、ちゃんと電車乗るときは着るって言ってるし、言ってることは間違ってはいないよなぁ。
話し方も普通だし。
おっけ、ついていくわ!
なんてなるわけないだろ!
もし、誘拐されて身代金要求されて、命カラガラにげたとしても、
「お母さんが見た目で判断しちゃいけないっていうから」と言えば、
大人は「それとこれとは違う!」と言います。
やはり、
見た目は人を判断する重要な要素
なのです。
もし、これをここまで読んだひとで、そんなこと言われなかったっていう人もいるかもしれません。そうなると、この話はホントつまらないものです。
それは独自の生き方で素晴らしいと思います。
ルーズソックスが流行ったときに、ルーズソックスをはかなかった。
そんな生き方ですね。
僕はルーズソックスが流行ったときに、履かないことは損だと思っています。
エッセイ/田中宏明(写真家)この文はクリスタルキング田中昌之の声を聴きながら書きました。
=ラジオ情報=
手作りオーガニックラジオ
「BerryBerryBreakfastのオールデイズ直江津Radio」
2週に1回アップしてます。
=バイク屋台(移動販売)情報=
田中屋の峠Coffee
ZINEの移動販売やってます。
主な出店場所、相模原市緑区 大垂水橋
相模原市南区 八景の棚
土日のモーニングタイム
サービスコーヒー付きです。