とある会社の、会長が亡くなったらしい。
90歳を越えた現役代表会長である。
お中元やお歳暮の話。
会社から会社へ贈り物をすると、
見たことのない代表取締役から見たことのない代表取締役へ送られることになったりする。
そこに何が通じあうのか。事務中の事務である。
送る方も、総務が発送していたりして、受けとる方も総務だったりする。
送ったことも、届いたことも知らなかったりする。
どうせやるなら、普段関わりの担当が担当へ送った方が心が通ったりするものだ。
中には、担当個人から、客先の会社の社長個人へ贈る人もいる。
それは個人なので自宅に贈るのである。
社長というものは、会社謄本に住所がオープンされているので、住所を知られることは特に普通である。
そして、個人に贈るので、肩書きなんてない。
それがいいのだ。
肩書きがあれば、それは仕事としての事務になってしまう。
個人で送れば、個人からの気持ちである。
そして、会長がなくなった。
現役会長…ということは、肩書きがある。
そんな連絡が来た社員は、仕事として、その連絡を受けることになる。連絡をした方もいうまでもなく仕事である。
そして、仕事として葬儀等に参加する。
もしそれが休日に重なってしまえば、休日出勤ということになって、代休を要求する社員は当然出てくる。
言いづらいので、有休を使うことで済ませる社員もいる。
また、葬儀の参列者も現役会長がなくなったのであれば、仕事として参列することになる。
もし、その会長のに対して、個人の友人として来ていても、その会社としての行事の波に飲まれてしまう。
なんか人が死ぬときは個人でいいんじゃないかなと思うんですよね。
まぁ、肩書きが誇りだったり自慢だったりであれば、それがダメということではなくて。
しかし、会社の関係でない状態でないと、やはり仕事になっちゃうんですよね。
ビジネスライクなお葬式になっちゃうんです。
もし、とうに引退していて、無職ぐらいの状態であれば、しがらみいっさいなく葬儀に参加することはもちろん、なくなる前に会いやすくなるんですよね。
個人なので。
現役会長となると、会いたいから会いに行けるものではなかったりするんですよね。
会いに行きたいという意思を発すること事態がなんらかのリスクになる可能性がありますから。
役職や肩書きがあると、それがないひとは会いにいきづらかったりします。
なんなんだろう。肩書きって。
ニュースなどでの、仕事を定年退職(引退)した人に対して、無職という言葉をあてるのもちょっと疑問ですが、それはおいておいて。
まぁ、好きな役職(肩書き)と死ぬまで一緒にいれたとしたら、それはしあわせだったと思います。
死ぬときぐらい、大事な家族と一緒にいたら幸せだと思いますので。
文/田中宏明(田中屋の峠coffee)
田中宏明 1980年生まれ 東京都昭島市出身の週末の写真家・放送作家。
2003年 日本大学文理学部応用数学科 ぎりぎり卒業。下北沢・吉祥寺での売れないバンドマン生活を経て、会社員(番組制作→不動産業)となる。
◆写真家:シティスナップとかるーい読物「井の頭Pastoral」撮影・編集
◆放送作家:ラジオドラマ「湘南サラリーマン女子」原作・脚本 オールデイズ直江津Radioで放送
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