田中屋の夕刻コラム「ダウンタウンの漫才」

夕刻コラム(社説盤)
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夕刻コラム(社説盤)

吉本興業110周年 伝説の一日

僕は見ていないが、アドリブだったと報道されていた。

ガキの使いでのトーク

ダウンタウンの漫才いえば、ガキの使いのオープニングでのトークしか見たことがなかった。
※それが漫才というジャンルなのかは僕にはわかりませんが。

それを見ていて「すごいなー」って思ってました。

二人でしゃべっているものなのですが、それが漫才なのかどうかはよくわからなかった。
ネタをやっているわけではなので、漫才かどうかはわからないが、ネタではないという認識です。
※台本もなくしゃべるというのがネタなのですといわれれば、それまでですが。

ここからは深読みです。

この日はアドリブ漫才であったと報道されていました。

ネタをやるかアドリブでしゃべるか迷った気がします。

そして、なかなか苦しかったと想像されます。

テレビのトップに君臨し続けて、M-1などコンテストの審査をしている人が、ネタを作って漫才をみせなければならないというのは結構怖い・リスキーだと思います。

例えば爆笑問題の存在

爆笑問題は、いまだに定期的に劇場で漫才をしている。テレビでもしている。それこそ松本の前でもしている。
そして、爆笑をとっているところを見ている。
それもこころの中のどこかで、何かしらの影響しているのではないかと思うのです。

そして実際披露したのは、アドリブトーク(漫才)だったようです。

テレビの一線を通り過ぎている人の方がまだやり易いように思えます。
ダウンタウンは、今だテレビの1線。

そんな人が漫才をするのか。という点

島田紳助の教え

島田紳助の本で読んだのですが、時代がかわったら、漫才はリスク、
同じ土俵で戦ってはいけないという話がありました。

その教えの通りであれば、「出ない」というのが、ひとつの判断だったと思います。

ダウンタウンは出演したのです。

はっきりいって、アドリブかネタかはどっちでもよくて、とにかくそれはすごい。

島田紳助も見てたと思うし、
島田紳助を越えていったのだなと思いました。

ただ、贅沢をいえば、ネタを見たかったところもあると思います。
お客さんとしては。
人気がすでにあること前提のステージだったようです。

タモリ

タモリが、ヨルタモリという番組をやっていたとき、全力でネタをやっている姿には泣けましたね。
蚊のものまねとか。

とにかく、ダウンタウンがセンターマイク1本で出たことがすごかった。センターマイク1本で出ることだけですごい存在だったのだ。さんまも出ているのに、話題はダウンタウンだった。

おしまい

文/田中宏明

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