田中屋のコラム(社説盤)
「知床遊覧船社長の発言に対するホラン千秋のイチャモン」

夕刻コラム(社説盤)
夕刻コラム(社説盤)

知床遊覧船遭難事故

遊覧船社長の「(遺族に対して)何でもしてあげたい」という発言に対して、ホラン千秋が言葉尻をとって、「あげたい」という表現についてイチャモンをつけた。

内容を受け取ろうよ、ロボットじゃないんだから

まず、発言には意味が大事なのであり、言葉尻をとるようなつまらいことでチャチャをいれて、事件の質に泥を混ぜるようなことはやめていただきたい。邪魔したのでしょうか。

言葉尻をとるなんて男らしくない

言葉尻なんていちいちとっていたら、みんな表へ出てはいかなくなる。誰が書いたわからない手紙を一枚出しておわりだ。

では、「あげたい」はまちがっているの

か、である。

こういう見解もある。

海に事故がつきものであることなんて、何千年も前から知っていることである。縄文人も知っている。
海の天気なんて正確に予報できるわけがない。もともと天気予報はずれることもある。
その船に乗ったというのは、それらすべて自己判断の上である。

船に乗ったということ


正に、その船に乗ったのだから、そこで起きることは自己責任なのである。

ちょっと思い通りの展開にならなかったからといって、それが舵をとる人間の責任であるわけがない。

そべて、舵を任せた本人の責任である。

飛行機もそうであろう


僕は、あんな鉄の塊が飛ぶわけない、と思っている。それでも12000円で沖縄まで3時間でいけるなら、それにかけてみようと乗っているのである。

もし墜落したら

まぁ、鉄の塊がとぶわけないよなぁって思います。

当然、航空会社のせいだなんていいません。
自分の判断です。

これからも人のせいにして生きていくのか

つまり、この遭難事故に関して、船側に責任をとれというのはおかしいのです。もうやつあたりのclaimer。

船側として


船側としてゼロ回答でもいいのです。つまり、「なにもしない」でもいいのです。突然のハプニングに見舞われたというという意味ではみんな、被害者なのです。同一線上です。

なので、ホラン千秋の発言は時間稼ぎの、チャチャであり、そのようのことを言えばみんなが同調してくれるという含みをもった悪質な、妨害のように見える。男らしくない。

海とは

僕は、東京商船大学という国立大学に合格したが、いかなかった。
それは「海をなめるなよ」というのを経験として知ってるからだ。

死にかけた


九十九里浜で流され、浜の人たちが小さくなって見えなくなって、死にかけたのだ。目をつぶって泣きながら泳いだのだ。
穏やかな天気のいい日だった。

海の機嫌なんて読めないんだよ。そんなのみんな経験で知っているだろう。

全員が被害者であり、ホラン千秋がチャチャを入れただけ。ロボットみたいな人なんですね。

文/田中宏明

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