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寝室の空気は、ぬるく湿っていた。
ベッドに並んで横になるのは、どれくらいぶりだろう。
夫の手が、静かに私の肩に触れた。
「……大丈夫?」
「うん」
言葉より先に、肌が反応した。
人肌というものは、しばらく触れていなくても、思い出すらしい。
彼の手が、ゆっくりと私の鎖骨のくぼみに沿って滑った。
まるで、プラモデルのパーツを確かめるような慎重さだった。
「あのね、うまくできるかわからないんだけど……」
「いいのよ。うまくなくて」
私のほうから、夫の手を自分の胸へと誘導した。
私の中に熱が灯っていくのがわかった。
それを夫も感じ取ったのだろう、下腹部に彼の膨らみが触れた。
「……なんか、緊張するな」
「なによ、それ。高校生みたい」
そう言いながらも、私は笑っていなかった。
どこか懐かしくて、やさしくて、泣きそうだった。
唇が、首すじに落ちた。
小さなキスから、深く長いキスへ。
そのまま、彼が重なる。
ゆっくりと入ってくる。
私の中を、夫が満たしていく。
「あたたかいね……」
「……うん。あなたも」
腰が動くたびに、過去の記憶がひとつずつ、どこかへ沈んでいった。
伊勢佐木町の部屋も、写真に切り取られた肌も、
この交わりのなかでは、もう“比べる対象”ではなかった。
今ここにあるのは、夫婦の時間だった。
新しい、はじめての手順。
古い機体を修復するように、慎重で、やさしく、たしかに熱い交わり。
果てたあと、夫が言った。
「……好きだよ」
私は、それに答えなかった。
けれど、答えるように、そっと額を彼の胸にすり寄せた。
とんだドラマのエンディングだった。
けれど、物語が終わったあとに始まる夜が、こんなにも悪くないと知ったのは、今夜がはじめてだった。
つづく
作者紹介
奈良あひる 1990年生まれ 渋谷の会社員

