「大谷翔平 国民栄誉賞 辞退」
僕は賞というものを捕ったことがない。興味がないのではなくて、興味はあるのに獲得できないのだ。
大谷翔平 国民栄誉賞 辞退なんて記事が出まして、それに乗っかりいろいろな記事が出てきたりして、ネットでは「偉い」とか「謙虚でよろしい」だとか、その記事の意図はなんなのだろうか。
僕とすれば、「もらっておけよ」である。せっかくくれるんだから、ありがたく。
選考側にあやしい意図があるならば、もらうことも気持ち悪いのかもしれないが、そういったものではないのではないかと思います。まぁ、僕の知り得るものではないのですが。
僕としては、辞退はややイメージが悪いんですよね。なぜなら、大谷選手ピンの力で話が来たわけではないという概念があるからなのです。
例えば、親だったり、仲間だったりとか、組織の力もあったはずなのです。もし大谷選手が「いいえ、僕ひとりによる力です」というならば、もう何も言いませんが。
または、それらすべてに確認したうえで辞退だったのか。親はとったら単純に嬉しかったのではないかと思うのです。
大谷選手の実際の辞退理由はなんだったのでしょうか。
僕は選手もすごいと思うのですが、企画・開催する方も大事だと思うのです。
選手は企画辞退がないと輝かないということを、小学校で教えてもらったから。
文・写真/田中宏明