=田中屋の松尾芭蕉解釈=松尾芭蕉の俳句の解説には、俳句には書かれていない言葉が登場しすぎだ。旅の前後から想像された解説になっている。しかしそれは違う。書いてあること以外は、その人の妄想なので、それを押し付けるのはいささかおかしい。そしてちゃんちゃらおかしい。ここでは俳句のみで読み取れる田中屋的解釈を届けします。
俳句
早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺り
解説本の解説
今、稲の苗取りをしている娘たちの手つきを見ていると、昔衣にしのぶ摺りをしたときの手つきがしのばれて、なんともなつかしい。(角川書店編)
となります。
しかし実際はどうなるかというと
通常の解説
早苗をとる手もとが昔だ しのぶ摺りを感じる
こうなります。
なぜ娘と言えるのでしょうか。
こういう誤った解説が、俳句の発展を遅らせていると思います。松尾芭蕉は一切悪くはありません。
これは読んだ人が思う分にはまったく問題がなくてですね。解説本かなにかが、当然のように、それが正解かのように書くのは違うと思います。
僕はこの俳句について
特に何も感じなかったおですが、このような解説による盛りはあんまりいただけないのです。
田中屋の俳句では、先に解説(エッセイ)があってそれを俳句や単価にまとめています。
松尾芭蕉もそうであれば、問題ありません。
娘たちが苗取りをしていたというのがあって、俳句にするとき、娘という情報はカットされた。それならOKです。
松尾芭蕉の盛り解説は大きなお世話なのですね。
作者紹介
田中宏明 1980年生まれ 東京都昭島市出身の週末の写真家・放送作家。
2003年 日本大学文理学部応用数学科 ぎりぎり卒業。下北沢・吉祥寺での売れないバンドマン生活を経て、会社員(番組制作→不動産業)となる。
◆写真家:シティスナップとかるーい読物「井の頭Pastoral」撮影・編集
◆放送作家:ラジオドラマ「湘南サラリーマン女子」原作・脚本 オールデイズ直江津Radioで放送
第86回!「BerryBerryBreakfastのオールデイズ直江津Radio」ヨーグルト田中とDJシューカイ
「蕎麦が茹で上がるあいだに」BerryBerryBreakfast展テーマ曲