田中屋の夕刻日誌「欲しいものは 出てくる」文/田中宏明

夕刻日誌
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昔働いていた不動産屋の社長とのひとやりとり
社長「今欲しいものは何?」
僕「物はあんまり欲しいものはないですね」
社長「そりゃ、営業には向かないなぁ。不動産業やるやつはほしいもののために頑張って、手にいれたら、また次の物がほしくなるぐらいがいいんだよ」
僕「そういうものですかねぇ」
社長「お金がないから、欲しいものはないって言ってるんじゃないの?」
僕「…」

これについて、後半部分、そうかもしれないと思っています。

ほしかったものはあったと思います。

まずはギブソンのギター。
当時使っていたヤマハのギター(あ、型番わからない。今は実家にあります)も悪くはないけど、あの頃ギブソンに憧れてました。
やっぱ、Jー160Eですね。あの、ジョンレノンで有名な。あと、ゆずの北川悠仁。

しかし、それは、中古でも20万台後半ぐらいまします。たまに、20万ぐらいで出ていると、お、と思って試奏してもやっぱり状態が悪いんですよね。
まぁ、状態よくても買えないですけど。試奏はしたかったのです。

昔「LOVELOVE愛してる」という番組で、吉田拓郎が言っていた言葉で、いまだに残っているものがありまして。

それは、「いいものを買わないと、進歩がひどく遅れる」というものでした。なので、当時10代だったキンキキッズに高級ギターを買わせるという回がありました。

思えば、10代でギブソンギターを持ってるひとはいました。どうやって買ったんだよって思いましたけど、やっぱり、僕より音楽的には上をいっていました。

自分が欲しいものはちょっと無理してみれば、買えると思うようになったのは最近で、それまでは、「物ではない、安いギターでも名曲は作れるはずだ」と、結局買わないことを選んで来たのだと思います。

でも、やはりあの頃はほんとに買えなくて、社長の言っていたことは正しかったように思えます。

買わなかったのは、本当はほしくなかったからだという理屈もやはりちがうように思えます。買うことから逃げるひとつの口実のようなものです。

買いたいものがあるということは幸せなことのようにも思えます。
それは、物が手に入って幸せと言うことではなくて、何かにときめいているということです。


なんにも興味がなければ、買いたいももなく、お金があってもお金の使い道がなかったりします。

昔からある言葉で、「やればできる」なんてものがありますが、僕がいつからか思うようになったのは「買えば買える」です。
そして、買った買えたということは、それにときめいているわけだから、自分スタイルで使い潰せということですね。

使い潰したときは、その金額すべてとりかえして、「おもしろい状態」になっているのではないかと思っています。

エッセイby田中宏明

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