電気が止まった
家の電気が停まったことがある。電気料金の支払いが飛んでいたのだ。
3月分を払い忘れて、4・5月分を払っていても電気は止まる。
3月分が支払われていないことを教えてくえてもいい気がするのだが。
ビジネスマナーの進化
そういえば、ビジネスマナーは変わってきた気がする。
例えば、メールやFAXなんてのは、送ってから、「届きましたか?」という確認電話をしなければ届いたことにするか、届いていないことにするか相手次第という流れであった。
つまり、確認電話をしなければ、届いたかとするかどうかは相手次第ということだ。
相手は都合悪いものならば、届いていないと言えば、それが正しかった。届いていないのだからしょうがいない、と。
届きましたか?確認は迷惑、からの無駄
しかし、近年は、メールやFAXで済むことをいちいち電話してくるな。迷惑だ。という流れがある。
というのも、メールやファクスは一度届いているものならば、届いているのである。
都合悪いものは届いていないことんするというのは、手入れ得る過ぎて話にならない。そんなところとは今後取引できないという感覚である。
手紙もメールもFAXも届いているのである。
本当に届いていないとしたら、それは本当にダメな人のレッテルである。
電気が止まった話(つづき)
電力会社に電話して、電気が止まっていることを話すと、3月分の支払いがないことを告げられ、僕は「送っくれましたか?普通便ですか?」などといった、自分に非がないといいたいような質問をしながら、いくらか溜まっているポストの中を探しているとだいたいあるのです。
そして「送ってくれているなら、ちょっと探してみます」なんて言って電話を着る頃には、コンビニに向かって歩いているのです。
そして、そのコンビニ払い伝票というものは期限が過ぎていても払えるもので、それで払って、家に帰る頃には電気はつながっています。
届いている
何が言いたかったかというと、
FAX・メール・手紙は届いています。
僕も支払いは忘れましたが、手紙は届いています。
本当に届いていなければ、それは、取引できない相手ですね。
そんな自分でなくて良かったです。
もし、本当に郵便事故で紛失していたらどうか。
さすがに、それは運がなさすぎて、やはりそんな人とは取引しないことが無難であると考えられます。
現代における、メール・FAX・郵便の「届きましたか?」確認はなくて大丈夫です。