田中屋の夕刻コラム「そんなに大袈裟なことかねぇ」

夕刻コラム(社説盤)
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佐藤義朗アナと石川みなみアナ 破局していた

なんて糞ネット記事がある。
「していた」というあとからわかった系だ。
まぁそんなことはどうでもいいのだが。

破局って程おおげさなことなの?って思っちゃうんですよね。

付き合って別れただけだよね。それだけなんだよね。もしかしたら本人同士かなりの大事だったとしても、それはあんまり他人には関係ないんですよね。ただ別れただけなんだよね。

ただ、「◯◯と◯◯破局」のこの破局のところにはいる 別れたという言葉にあたるちょうどいい言葉がないんですよね。
それを担当しているのが破局なわけなのですが、漢字を含め言葉あたえる印象がなんか不自然なんだよね。

もう一回言いたいのだけど、別れただけですよね。
また、結婚している人が、離婚したときには破局は使わないですよね。
なので、別れただけですよね。

他に好きな人ができたとか、なんとなく、この人じゃないなぁ、みたいなことでしょ、別れるって。それか、とっといたプリンを勝手に食べたとか。そんなことでしょうな。全然、破れる局面ではないんですよね。

破局とは、漢字の放つ力などを考えると強すぎるんですよね。

どこからが破局か

破局なんてのは、両想いでつきあっていたひとが、実は血の繋がっていた兄妹だったとか、実は親子だったぐらいいかないとなかなか破局って感じがしないんですよね。
この事実を知った二人がとった行動とは?!
ぐらいいかないと。
それからしたら、局アナ同士が別れたなんて、ただ別れただけで破局ではないですよね。子供じゃないんだからさ。

やっぱり、破局にあたるいいことばがないんですよね。

これに関しては需要がそこまでなかったのと、一番はやっぱり興味がないってことなんかじゃないかなと思います。

それは古いメディアではなくて、若者が自然に新しい言葉を使い始めるしかない気がしますね。

佐藤と石川がなぜ別れたのかなんて聞いたことろでおもしろい話はきっと返っては来ないと思われます。

いつまでも古い言葉が生き残っていることは、
地方の市長をいつまでも同じ人がやっているのと似ている。
昭島とかね。

文/田中宏明

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