田中屋の夕刻日誌「農家の人に謝りに行くの巻」

夕刻日誌
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夕刻日誌

僕が生まれたのは1980年8月

戦争が終わって35年

たったの35年前戦争が終わったのだ。

僕が幼稚園の時、幼稚園の給食は厳しかった

昭島市 恵泉幼稚園

給食は最後まで食べ終わるまで昼休みに入れないのだ。

食べ終わった人からあそびはじめて、食べ終わっていない人は、ゆっくりそれを食べきることに集中するんです。集中できないけど。

「僕もあそびたいなぁ」なんて。

この話を思い出したのは

1980年なんて、戦争が終わって35年しか経っていなくて、

僕が5歳だとして、幼稚園の先生30歳だったとしたら、その先生は戦争がおわって10年後に生まれているわけで、その親なんてのはこってり戦争を体験しているのであり、そりゃ食べ物なんて余裕がない時代だ。

そう考えたら、残さず食べろ!なんて普通ですね。まぁ、食べ物に余裕があっても、残さず食べろ!ですけど

それでも食べ残すとき

もしどうしても食べ残す場合の決め文句はこれだった

「農家の人に謝って来い!米一粒作るのに1年間どれだけの手間がかかってると思ってんだ」

このフレーズ何回も聞きました。僕が言われたのもそうだし、誰かがいわれているときも。

クラスの中には食べるのがうまい人というのがいてさ。

その人と同じように食べると、スムーズに食べれたりするんですよね。それはちょっとした発見として、その感動みたいなものを覚えています。

まずお白湯を一口

おかず・米・スープ、おかず・米・スープ

みたいに

そうして、時間内に食べきり、昼休みを迎えられるようになったのでした。

うちは農家

うちの直江津のおじいちゃんおばあちゃんは農家である。

夏には、その家に行くのがいつも楽しみで楽しみで

そのときに、

「僕はおじいちゃんおばあちゃんが作ったお米がうますぎて それ以外食べれない」みたいなことを言った記憶があります。

そしたらおばあちゃんは「ほめてくれてありがとうね」と言っていた記憶があります。

この一連のストーリーの発端である

この先生は、僕の25歳上と想定すると、まだ生きている年齢である。

今どうしているのかと思ったりします。

今どうしているのかと思われてるのかなぁとか思ったりすることはあるんですかねぇ、その先生は。

顔と名前は覚えてないけど、調べればわかるはず

エッセイ/田中宏明

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