たびたび「お金がすべてじゃない」って言葉を聞くんですが、「金がすべてだ!」なんて言っている人見たことないんですよね。
言葉にしなくても「金がすべてだ!」という信念で生きているんだなこの人は なんて人も見たことないんですよね。
これって「金がすべてではない」って言いたいだけなんですよね。
なんかそれがカッコいいみたいなことになっているんです。
ここで仮説
「金がすべて」と思って生きてきたけど、そんなに金を手にしていない人が言う言葉
それが「お金がすべてじゃない」である
よくよくみてみると、こういう人なんじゃないかなって思います。
では、なんでその言葉を発するか。
多くの人は当然お金に興味はあります。生きているかぎるずっと必要だからです。やりたいことをやったり、夢を叶えるためにはお金は必要だからです。
しかし、相対的な世の中なので、すべての人がお金に余裕があるという状態にはならなくて、漠然とお金が足りない感の中で生きている人が多いと思います。
そんな人にウケたかったんですよね、きっと。
なので、金こそすべて派でありながら、お金がない人の言葉である可能性がかなり高いです。
ただ、かなり少ないですが、お金が溢れている状態の人もいます。
そんな人が「お金が全てだ」なんて言ってもあんまりいいことは起きないので、お金が全てではないという言葉を使って、気持ちを掴もうとする人はいるかもしれません。
どちらににしろ、「お金に異常な興味があるひとの言葉」ということになります。
お金に興味のない人は、興味がないので「お金がすべてじゃない」なんていう全く無意味なこと発言しないんですよね。
ここでいうお金に興味のない人というのは、普通に生活できるぐらいのお金またはそれより少ないお金を持っている人を指します。
お金を持っている人で、お金に興味がない人はいないとします。
なぜならそれは、歌手でヒットしていて、歌手で食べいるけど、歌には興味ありませんなんて通用しねぇだろという話です。
浜崎あゆみが歌手として君臨していて「私歌に興味はありません」なんて言ったらおかしいだろ!ということです。
なので、結果
お金がすべてだと思っていながらお金をゲットできていない人
そしてその発言ということになります。
チャップリンの「すこしばかりのお金」という言葉もお金の話題の持ち込みであり、お金にすごく興味があるというあらわれになります。
尾崎豊のダンスホールに出てくる「金がすべてじゃないなんて きれいには言えないわ」
というのは、僕は高校生ながらに、女の生活感的青春を感じたものだった。
高校やら尾崎の墓でうたったものだ
田中宏明