冬至とは
12月になって、なんだかもう年末かぁなんて思っている頃。
でもなんか、日が沈むの遅くなったなぁなんて思って。
冬至はまだ先なのに、やっぱりもう地球は限界なのかなぁなんて思ったりしていました。それは10代の頃からです。
あのころ1999年までに地球は滅びるとか言われていたので、地球が限界をむかえ、冬至もおかしくなってきたことぐらい不思議ではなかっ
たのよね。ちなみに、救世主は1月21日生まれと言われていた気がする。ちなみに、北斗の拳も、世紀末救世主伝説だ(なに的に「も」なのかは謎)。
それから、20年以上も調べなかったこと。
「冬至ってなんだ?!」
90年代にはなかったスマホでピピッと調べれば、すぐ出てきた。
冬至とは、「一日の日の出ている時間が一番短い日」だ。
ていうことは、日の出が一番遅くて、日の入りが一番早い…、
と思ってた。
それがちがうのよ、日の入りが一番早い日も、日の出が一番遅い日も冬至じゃないのよ。
そんなことできるのか!と思いませんか?
その世界観に未知なる数学を感じます。
僕はググったので、その日を知ってしまったのですが、調べなくていいと思ってます。
そう思えるようになったのは、石原良純の影響です。
「全然天気予報当たらないじゃないですか」とかいじられていたときの言葉。意味としてはこんな感じ。
「俺は天気予報を当てたくて、気象予報士になった訳じゃないんだよ。人が空を見上げるきっかけを作りたかったんだ!天気予報が当たる当たらないはどうでもいいんだよ」
これにはしびれちっまたさ。
これは、かなりロマンを含んだ、だれも傷つけない逆ギレだ。
高等いいわけである。こういういいわけって、男特有だと思うのです。女からはあまり出てこないセンス。
日の入り遅くなったなぁ、
とか早くなったなぁとか感じればいいんですよね。
それが実際はいつかなんてどうでもいいんですよね。
空を見上げて、雲や夕日や町並みを見て、何か想えばそれでおわり。
日の入りがどうなってるかとか仕事には関係ですからね。
調べて知っていくことが向上心の一辺倒じゃなくていいっしょ。
「調べればわかるから調べない」でいいんじゃないかな。