DJシューカイ By TanakaYaPedia

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TanakaYaPedia 土曜日DJシューカイ枠

プロフィール~タナカヤペディア

撮影:まりよん

DJシューカイ(1975〜)は新潟県上越市出身の歴史学者、DJ、作家である。

1993年頃から活動を本格化。右翼団体に影響されたお笑いによる高田駅前ゲリラライヴなど過激な表現活動を行う。学生時代から歴史学に通じ、特に宗教史の研究で90年代半ばに名を馳せる。DJ活動も行っており「歌謡曲新解釈論」を提唱、現在ジャンルにもなった「和モノ」を早い段階で取り入れたDJでもある。

学生時代~エピソード

小学時代

•保育園時代に祖母に買ってもらった学研の「昆虫図鑑」をボロボロになるまで読み込み周りから「昆虫博士」の異名をとる。(その昆虫図鑑は現在も所持)

•小学生の時、図書室で「イソップ物語」を借りて以来図書室に昼休みと放課後6年間通い続けた。歴史学との出会いはお城や甲冑の写真集を見てカッコ良さに衝撃を受けたのが始まり。小学6年間で図書室の本をすべて読破した。

中学時代

•中学時代、図書室の貸し出し冊数のランキングは3年間トップであった。ついた異名が「歩く百科事典」だった。

•キャンプや発表会などの余興、いわゆる「飛び入り」の常連であった。ひとりコントで笑いをとっていた。

•意外にも卓球部の主将をやっていた。主将時の新人団体戦において創部以来、初の3位入賞を果たす。しかし当の本人は「2戦2敗」とただ足を引っ張っただけであった。

•その卓球の大会で入賞すれば賞金3万円だ!と理科の教師に言われて奮闘。実際にのし袋で賞金がもらえた。しかし額面は三千円であった。3万円入っていると勘違いしたシューカイは顧問の先生に3万円もらいましたと報告。顧問は理科教師に「3万円ありがとうございました!」とお礼を言いにいったがもらった額面は三千円だったため「恥かいたじゃないか!」と顧問にこっぴどく叱られた。これは世に「3万円事件」と言われ後世まで語り継がれたという。

高校時代

•小中高と図書委員であった。高3時に初めて図書委員長になり、なれたことを本人は誇りに思っている。

•仏教関係の書籍を読んでいた時に歴史の背景には必ず宗教の影響があることに突然気づく。宗教史に舵を取ったのはこの頃からだった。

•地元の書店を立ち読みしまくる迷惑な客であった。ついたアダ名が「レッドショルダー」(当時赤いショルダーバックを使っていた為、あと装甲騎兵ボトムズのレッドショルダー部隊から)しかしそれら立ち読みしていた時の本は社会人になってから初任給ですべて購入した。

•高3の時、ある討論会で某高校の社会科教師を徹底的に論破したことがある。議論の題材は昭和天皇の戦争責任の是非について。
この事は後々問題視されかけたがシューカイの「いち工業高校生如きに論破されるようじゃ立つ瀬も無いでしょ?その先生、おまんまの食い上げなんじゃぁないですか?」の一言に一切不問に伏された。

その後の活動

•高校卒業後、建設会社に就職。その傍ら宗教史研究、執筆を行う。某出版社から「大小神祇の研究」のタイトルで出版が決まる。内容は異端でオカルト的な内容であった。しかし1995年、ある事件が起こる。オウム真理教による地下鉄サリン事件である。これにより事件を助長したとされたオカルト雑誌などが叩かれる自体となった。内容がオカルト的であった自書も出版が見送らる事態となった。シューカイは失意し、その原稿をすべて焼き捨てた。

•90年代半ばから早い段階でCDJを使っていた。理由は「レコードのプチノイズが気に入らなかった」から。現在とは違いアンチレコード派であった。

•アンチレコード派となったのは中古レコード屋で盤質の悪いレコードを高く売りつけられた為。CD派であったので現在でも3000枚のCDを所有している。

•レコード派になったのは新潟市の中古レコード屋「バレット」さんの影響から。ソフト・マシーンの「6」のアナログアルバムを紹介され聴いてブッ飛んだのが始まり。あとデヴィット・マンキューソとの出会い。「いかにレコードの音質を保ちプレイするか。」に感銘を受けたため。

•公園でDJをする「出前DJ」なる活動を2007年あたりからやり始める。理由は場所をクラブに限らずDJ活動は自由であるべきだとの考えから。

•徳川埋蔵金とニホンオオカミの存在を信じその探索も行っている。

その他

高田小町にて

•尊敬しているDJはクラブ「LOFT」の創始者デヴィット・マンキューソ。彼の曲を最後まで完奏させ繋いでいくスタイルいわゆる「レス・イズ・モア」をお手本としている。

•音楽を聴き始めたきっかけは小5の時にラジオで聴いたオフコースの「さよなら」から。
したがってフォーク、ニューミュージックへの造詣が深い。

•テクノ、ニューウェーブ好きである。

•ドイツの音響デュオ、クラスターの大ファンである。2010年の来日時には京都までライヴを見に行ったほど。

•コサキンのラジオや迷盤解放同盟の影響からいわゆる「珍盤」好きである。

•レトロゲーム、野球ゲームマニアである。少なくとも2000年までの野球ゲームは
9割9分プレイしている。

•出前DJの活動の主戦場は高田城址公園であった。公園内に図書館がありそこに来る人なら文化的な人が多いのでは?との理由から。しかし通る人たちは無関心。聞こえて無いのでは?と思ったシューカイはスティーブ・ライヒの「イッツ・ゴナ・レイン」を大音量でかけた。しかし図書館側から「お客さんが変な音楽が聴こえると言っている。」と苦情が来たので苦笑いを浮かべながら店じまいをした。

•出前DJの最中に選挙カーが止まり候補者の演説が始まった。シューカイはアントニオ猪木の「炎のテーマ」を大音量でかけてこれを撃退したことがある。

•出前DJの最中に怪しい気功師に話しかけられたことがあり身長を3センチ伸してもらったことがある。

•出前DJの際、宗教勧誘の人に話しかけられる事が多かった。その時はマックに行って話を聞くのを面白がっていた。

・高田小町で行われたファッションショー「妄想もだ~ん劇場」(アメリカン雑貨ペチカ主催)でまわしているところ、選曲にしびれた写真家の玉子田中宏明に話しかけられて交流がはじまる。のちの2018年、横浜のカフェでのDJライブを開催することとなる。

アメリカンヴィンテージ セレクトショップのペチカ
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2020年3月に計画していたラジオDJイベントは謎のウィルスによって、参加が見送られた。

撮影:まりよん

・2018年、上越市高田、旧師団長官舎で開催されたハンドメイド作品とアンティーク雑貨のイベント「時の雫」(主催:彩蓮)では、DJシューカイのクセ(良さ)を残したまま、主催者のイメージにもあった選曲をこなすという協調性を見せつけた。

 彩蓮〜sairen〜

・田中編集のZINE、井の頭Pastoralに「DJシューカイの現代立ち蕎麦論」連載。

撮影:まりよん

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