田中屋の夕刻日誌「喧嘩両成敗とは何か」

夕刻日誌
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文/田中宏明(写真家・ラジオパーソナリティ)

古い言葉に疑問がないわけではない。
つまり、古い言葉に疑問はある。
古い言葉は正しいとか、ありがたいといった固定概念は、青い湖に捨てた。

世の中に喧嘩はつきない。戦争も含む。
余談だが、喧嘩という漢字の中に、「華」(はな)という字がはいっているあたりも疑問だがそれは無視。

「喧嘩両成敗」という言葉がある。
つまらない構成だが、まず辞書で調べてみると、

喧嘩を当事者に対して、処罰を与えるというもの。
文献によっては、攻撃を開始した側が若干重く刑を課すみたいなないようであります。

この疑問はずいぶんと前から話題にはなっていたみたいなのですが、やっぱりおかしいですね。
なぜおかしいかというと、辞書には載っていますが、死語辞典には載っていないからです。つまり生きているということです。

僕の考えでは、どう考えても、「言い分」は大事なのです。それの客観的判断がなければ遺恨を量産することになります。
そんなこと見えています。

三省堂や、岩国が死語辞典を作って、そこにしっかり載せるべきなのです。
いつまでも古いひとたちが幅をきかせていてもなんだかなぁってやつですね。

それは言葉の世界でも。

そんな言葉たちがいまも争いを起こしているのかもしれない。

エッセイby田中宏明

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