夕刻日誌「高梨沙羅の涙の解説」
文:田中宏明

夕刻日誌
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「高梨沙羅は何について泣いているのか」

というテーマで、夕刻コラムを書いた。
それではわかりづらい部分についての補足です。

真実は涙の中に隠されていますので、僕らにはわからないのですが、それは当然のこととして、どう感じるか、どう察するかということになります。

例えるなら、
大学の落第がかかった試験でカンニングをして見つかったとしたらわかりやすいですかね。
つまり本人、カンニングがいけないことなんて知ってますが、ばれなければいいという感覚でカンニングをするのです。そのぐらいのプレッシャーが、この試験を落としたらヤバイという想いが、高梨選手にはかかっていたのです。

それは、高梨選手だけでなく、全員です。

しかし、この設定には足りないものがあります。今回のジャンプのスーツの大きさの許容される範囲です。

つまり、試験に参考書など持ち込みは可能ですが、持ち込んではいけない資料もあるということです。


実際に、僕の日大文理学部応用数学科ではそのような試験がありました。

ここで、みんな、持ち込んでいいぎりぎりものを持ち込むのです。
そして、みんなぎりぎりのカンペで試験をパスしていくのですが、高梨選手だけ、テストでいい点をとりすぎてしまったのです。それを怪しんだ大学の教授は、その学生が持ち込んだ資料を出せと言う。

ここで、高梨選手はカンペ違反をくらうのです。

なので、ここはみんなと同じカンペではだめだ。もっと強力なカンペが必要だ、となり、このような結果が起きたのです。

まともに戦っては、赤点を返しきれないというのがあったのかもしれません。ある意味、勇気ある判断です。


ジャンプで言うところの、赤点を返すのではなく、メダルに手をかけるには、ということになります。

高得点をとりすぎたことが、疑われる要因になったと思われます。
僕も高校1年の頃、たまたま数学で高得点をとったときがあって、カンニングを疑われたことがあります。


瑞雲中学のとき、スカートが短くて、先輩から目をつけられるのもその一種です。派手な勝ちかたをしてはいけないということです。

今回のドラマのポイントは、例のそのスーツ、規定に引っ掛かるかもしれないという認識が本人および仲間たちにあったのか、というところです。

だれか、「高梨さん、やばいっすよ、そのカンペばれたら俺たちまるごと留年ですよ」って言えなかったのかということです。

「バレやしないわよ」とか言ったのか。そこはあきらかになっていませんね。

それか、言える雰囲気ではなかったのかもしれませんね。

では、あの涙はなんだったのか、
インスタでひたすら謝っていたけど、なぜ謝らなければならなかったのか。
それがひとつのヒントだと思います。

この流れで言うと、バレやしないわよといいはなってバレたので、「私のせい」みんなの未来が変わってしまったいったのかもしれない。

僕が言いたいのは、あやまるなということです。

あやまるとやましいことがあるように見えちゃうから。

ジャンプ中に、アブドーラ・ザ・ブッチャーみたいに、パンツにかくしていた羽を出して、着地前に隠滅したらどうなのか。江頭2:50みたいにピッチリしたタイツをはいていれば、タイツで反則はとられない。

この違反問題は今後のためには、未来のためにはどうしていけばいいだろうか。

もうこうなったら、タイツのサイズも何でもOKで、道具もなんでも使っていいこといしてみてはどうだろうか。スキー板でなくてもよくて。自転車みたいなものにプロペラをつけて、羽をつけて、全力でこいで坂をかけぬけて。こうなったら、雪山ではなくて、海でもいいかもしれません。

どうせ、男も女も、心の中に羽を隠し持っているわけですだから。

ひとつ、ルールをつけるとしたら、魔女のニケツは禁止とか。いや、もうそれもOKだ。魔女かどうかどう判断するのか。そこで、選手からいちゃもんがつく。魔女だけど、魔法はつかわなければOK。いや、使ってもOK!

あれ、それ鳥人間コンテスト?

PS;
「That’sカンニング」の映画を観て、反省しようと思います。
補足:安室奈美恵、山口達也 ダブル主演

文/田中宏明

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