夕刻日誌「宇多田ヒカル ノンバイナリー」

夕刻日誌
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また、新しい横文字が登場しましたね。
ノンバイナリー。
Iがはじめて聞いただけなのかもしれませんが。
はじめて聞くひとでよかったと思っております。

逃げ道があるということは本当に大事なことだと思います。
Iもいざとなったら逃げ回りたいとか思うこともあります。
ありました。

自分はその他大勢とは違うとか、何かに劣等感をもったり、なんにせようまくいっていないときにそう思うものであります。
そのとき、自分は大勢の人とは違うと言い張って、それにより自分の存在を認めてくれるものがあるとしたら、それはもしかしたら、思いの外、楽に居心地のいい場所を見つけられるかもしれません。

まったく目に見えない世界です。
美しいものは、目に見えるものばかりではないというような発想が、目に見えないところで何を発言してもいいし、どんなことを想定してもいいというカオスな事態を産み出したんだと思います。いや、産んではいません。発想にしがみついたのだと思います。

自分がどっちなのか、考えるまでもないことでも、心の中で見えない世界を設定し、現実の世界に持ち出してしまうこと、そのひとつが宇多田ヒカルのノンバイナリー発言であると感じました。

もしIがそんなこといったりしたら、救急車で運ばれちゃうのではないでしょうか。宇多田という芸術家であるからこその発言実行なのだと思います。
RESPECTしかありません。

「Iは男が好きなのですが、見た目は女。でも心は男で、男が好きなのです」と言ったとしよう。

これは見た目には男が好きな女です。

宇多田ヒカルの発言は、それをはるかに越えていった言葉のように思えます。

実際はまったくそんなものでもない可能性もあります。今の時代発言はただですので。
まして芸術家。その発信によって何か反響があれば、それは宇多田にとって美味しいことであるでしょう。そうでなければ言わないわけですから。

作品というのは、色褪せない。
たとえ、そのアーティストがヤクをやっていたとしても。

ただ、いじめと○○は色褪せますね。

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